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本もノートだ。ものもノートだ。

 本から引用することも多いので、ノートのような役割と言えます。自分の会社の本棚は、建築家の小林恵吾さんに設計してもらったのですが、これは自分の脳内のようだなと思うんです。ここには戦略系、そっちに投資の本、教育系、歴史系、自分のやりたいことや頭の中が体現されている。これらを、この本棚のように繋げたいんだと思います。
 いいタイトルの本だけを集めたコーナーもあります。おじさんたちに読ませるべき『「昔はよかった」病』とか(笑)。『正しいパンツのたたみ方』『そのものを狙うな』『私はそうは思わない』なんかいいでしょう?広告系でいくと『生まれた時からアルデンテ』『デザインするな』とか。『無尽蔵』は棟方志功の書が題字です。タイトルだけでもノートだし、中にも線をたくさん引いています。

―付箋がいっぱいですね。

 要はノートなんですよ。本だけでなく、プロダクトやアートもノートと言えます。去年リモート会議中に後ろで鳩時計が鳴っている人がいて、気になって鳩時計を検索していたらイタリア製がおもしろくて。透明だったり、鳩が横から出てきたり。さっそくひとつ購入して置いています。ここに相談に来る人はブレイクスルーを求めているので、そういう人に見せて「鳩時計さえこんなに色々あり得るんだから、きっと解決策ありますよ」と話したり。

―具体物をもって話せるんですね。

 この米沢の木彫りにもストーリーがあります。米沢藩には昔、上杉鷹山という名君がいました。武士にも産業を興させて、飢饉でひとりも餓死者を出さなかった。農閑期に農家がつくっていて、鷹山公も応援していたというのがこの木彫り。ものを通じて得るヒントはいろいろあります。
 これは水うちわといって、Bチームの定例会に招いた新入社員が教えてくれたものです。水でぬらしてあおぐと涼しいのだけど、なんと9000円!けれど商品に添えられていた説明書きに、「長良川で舟遊びをしていたお姫様が、うちわを川に浸けてあおいでいた」とあるわけです。おしゃれだなあ、決して高くはない買い物だったなあと。ストーリーがあって、アイデアを膨らませられるようなノートでもあるんです、うちわもね。

写真左から、米沢の木彫り、鳩時計、水うちわ

紙飛行機に投資した話

―ノートのメモにストーリーがあるように、ものの周辺にもストーリーがある。そういったものを集めたくなるのは若いときからなんですか。

将来の夢文集

 発明家になりたかったので。小1の文集でそう書いたときは、みんなと違うことを書いてクラスで目立ってやれという動機でしたけれどね。つまり差別化という、人生最初のマーケティング体験。とはいえ、目立ちたいだけならほかの職業でも良かったはずだけど「発明家」としたんですよね。ちょっとした工夫で特許取って大儲けみたいな話にワクワク、もっと言えば、血が騒いでいたことを覚えています。
 そういうことが好きで、ここまで来てます。生まれつきですね。

―僕が新人のころ、紙飛行機をつくる倉成さんに「なんでこんなことしているんですか」と聞いたことがありました。「僕は発明がしたい」と話していましたね。当時は、この人なに言ってるんだろうと思ったんですよ。

 こないだ104コンソーシアム(信託銀行各社が集まって、20代のための投資のことを考えている投資のコンソーシアム)で登壇して、「紙飛行機に投資した話」をしました。会社に入って3年目で、会社をやめたくて仕方がないときに、同期のデザイナーと一緒に予算150万円で300~700時間を費やして紙飛行機で郵送できるポストカードと封筒をつくった。この投資で何が起きたかというと、のちにスペキュラティブデザインの教科書に載ることになる、スペインのプロダクトデザイナーMarti Guixeのところへの留職です。

 帰ってきて、仕事が広告からプロジェクトに変わり、Bチームという組織の発明につながり、さらにそのチームで新しいコンセプトやプロジェクトを提唱することにつながっていった。教育事業「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」も立ち上げ、自分の会社をつくった、その全ては、紙飛行機のポストカードを作った経験とそこから広がった人脈なんですね。
 紙飛行機の段階で「何をやっているんだろう」と思われるのは当然で、自分もその先どうなるかなんてわかりませんでしたから。

2007年NYADC銅賞/ハガキ[フライングカード]、2008年グッドデザイン賞受賞/封筒 [フライングレター]

―先が見えていたからやったわけじゃないんですね。

 当時、仕事が苦しかった。まだ3年目だったから当然だけど、実力がなくて、たくさんの時間をかけてもなかなか企画を世に出せなかったから。じゃあ自己資金で、自分がつくればいいと取り組んだことでした。

広告業界の視野はまだまだ狭い
ひとりひとりのノートにかかっている

 広告は基本的に、音楽や映像、グラフィックやアートなどの掛け算でソリューションを出しています。でも新しいビジネスを生み出すとなれば、まったく違う引き出しが必要になる。2009年、広告クリエーティブの新規事業部だった「ビジネスデザインラボ」に移ってから、しばらくはリサーチに費やす時間が必要だと話しました。そうしたら「じゃあ、倉成さんはブラブラしていてください」と言われて、情報収集に力を入れたんですよね。
 世界中の違うジャンルの人と、有名無名を問わず会い、仲良くなり、力を貸してもらいました。当時あまりそういう動きをしている人はいませんでした。広告業界の大多数が、みんな“カンヌで賞を獲って”成り上がる、が目指すところだった。
 なんだか、世界中で広告業界が、“賞を獲る受験勉強”みたいになってませんかね?外資にヘッドハンティングを持ちかけられた人が、向こうのトップと会ってどんな話をしたのかと聞いたら、「マネー&アワードの話で、つまらないから行かない」と。ここ10年くらい、「for good」とか言ってましたけど、賞のためにやらないでほしいですよね。
 賞は才能を発見してもらうためには必要だと思いますが、ポジション争いのためとなるとおかしくなってしまう。

―どういうことが業界に必要なのでしょう。

 今の広告業界は、興味を持って触っている情報のチャンネルが、集めている幅が、狭すぎると思います。みんなの才能をどう使ってアイデアを出し、より広い業界で広告業界のスキルが役に立つようにするには、業界の人、ひとりひとりのノートの内容の新しさ、深さ、広さが質を決定すると思います。視野が20世紀と変わっていないことを、組織的、業界的に考えなければならないと思います。世界は広く、未来はほんとに未知なんだから。
 カンヌですら狭い。今、広告業界の人に褒められてもしょうがないけど、業界の人が褒めるアワードしかありません。それが問題……というか、ここまで多様化している中で褒められる必要ってあるのかな?

―褒められたいですけどね(笑)。

 褒められたいより、誰かに“喜ばれたい”なんじゃないかな。
 褒められるには限界があるけど、「喜ばれる」「助ける」「手伝う」「人をインスパイアする」となれば無限です。昨日ラジオで聞いたのだけど、中国で紀元前の木簡が見つかって、「大器晩成」は実は「大器免成」だったんじゃないかと議論になっているそうです。要は、大器、つまり本当の大物は、一生完成しないということ。
 広告業界が世の中で重要な仕事であるとするならば、「免成」の方で考えるべき。褒められることをゴールとせず、喜ばれるためにどう仕事をしていくか。リミットを取っ払う必要があるのではと思います。

人も、ノート。

写真右:川島豆腐店の川島さん

 僕には勝手に人生の師匠と思っている人が25人います。もう亡くなったエジソンとかはキリがないので数えませんが、生きている師匠たちとやり取りをしていると、やるべき仕事は無限だなと思わされます。いつも心のなかで、「そんなちっちゃなことを目指すなよ」と師匠に言われている。
 例えば、一人だけ今日挙げるなら、佐賀の川島豆腐店の川島さんはそのうちのひとりです。「ざる豆腐」を発明した人なのですが、唐津でごはんを食べていて、カウンターで隣りに座った縁で知り合いました。最初は、面倒くさい人だなと思ったんです。板前さんに、「このアジはどこのね、俺だったら商品にせんな」とか、「俺だったらスダチ絞るな」とか板前さんにいちいち言っている。でもそのあと分かったことには、川島さんは週3でその店に通って、その若い店を育てていたんです。いい店が増えれば、町が活性化するという理由で。

 話せば話すほど、感銘を受けることばかりです。彼のお店を訪ねると、食と器と文化のすべてが空間や商品に統合されている。原料の大豆について理解するために、朝4時に起きて自分で育てていたり。朝会社に行ったらまず社員に「今日も働いてくれてありがとう」と声をかけるような社長さん。
 こういう人を師匠にすると、同じ業界じゃないからこそすごさが鮮明にわかります。彼はカンヌとか出さないけど、ずっとグランプリですよ。
 自分の知らないことは、本当におもしろい。人と人が知らなかったことをお互いに活用しておもしろいことが生まれたらいいと思います。そのために、あらゆるものをノートしているのだと思います。

text:矢島 史

倉成英俊(くらなりひでとし)
Creative Project Base/代表取締役

2000年電通入社。クリエーティブ局に配属、多数の広告を企画制作。その最中に、プロダクトを自主制作し多数発表。2007年バルセロナのプロダクトデザイナーMarti Guxieのスタジオに勤務。帰国後、広告のスキルを超拡大応用し、各社新規事業部の新プロジェクト創出支援や、APEC JAPAN 2010や佐賀県有田焼創業400年事業など、さまざまなジャンルのプロジェクトをリードする。2014年より、電通社員でありながら個人活動(B面)を持つ社員56人と「電通Bチーム」を組織、社会を変えるこれまでと違うオルタナティブな方法やプロジェクトを社会に提供。2015年には、答えのないクリエーティブな教育プログラムを提供する「電通アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」をスタート。2020年7月1日Creative Project Baseを起業。Marti Guxieにより日本人初のex-designerに認定。