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第二十一回 箭内道彦 ✕ 伊藤佐智子

(伊藤佐智子さんは、本連載の撮影を担当している広川智基さんのご両親と昔から親しい。広川さんの父は写真家の広川泰士氏。インタビューはその話から始まった)

箭内: (智基さんを)どのぐらい小さいときから、知ってるんですか?

伊藤: 赤ちゃんのときからですね。お腹の中にいるときっていうのか。

箭内: へーえ。

伊藤: お母さん、スパンキーって呼んでいるんですけど、そもそも私が広川(泰士)くんとスパンキーを出会わせたの。

箭内: じゃあ、「NO 伊藤佐智子,NO 広川智基.」(笑)。すごいじゃないですか。

伊藤: 二人が初めて会ったときに、稲妻みたいな何かがパッと走るのが見えたのね。それで私、「この二人、絶対、結婚するな」って思ったんです。

箭内: 別に仕向けたわけではなく?

伊藤: 全然、仕向けたわけではなく。広川くんのほうも10代の頃から知ってるんですよ。みんな遊び友だちなんです。世の中っていろんなつながりがありますけど、広川くんは一番懐かしいカメラマンですね。今日、智基くんが撮影することは知らなかったんですけど、彼の姿を見て思ったのは、あっというまだったなあと。すべてが早いですね。

箭内: 「あっというま」でしたか?

伊藤: よく、20代は時速20キロ、30代は30キロなんて言うじゃないですか。年齢を重ねるとどんどん速くなるんです。50代を過ぎて、私、いま60キロで走ってる気がする。箭内さんは50キロですよね?

箭内: ええ。でも、速いからって雑に生きてるとか、何にもしてないとか、佐智子さんはそういうことでは全然ないですよね?

伊藤: やり方は変わってきてますけどね。昔は自力だけでやろうとしましたけど、いまってやっぱり他力とのバランスでいろんなことが面白くなるし、エンジョイできるなって思うから。

箭内: 他力の使い方ってコツがあるんですか? 僕も他力をさらにうまく使いたいですね。それで60キロ台に突入したいと思うんですけど。

伊藤: 「一緒に楽しむ」ということだと思います。一緒に楽しめる仲間を見つける。あるいは一見そう見えなくても、「この指とまれ」って言って誘いこむと、同じものを見られるようになることだってあるわけですよね。

箭内: なるほど。舞台や映画の仕事も多くされてますけど、広告って佐智子さんの中でどんな位置付けなんですか。

伊藤: 私はスタートが広告ですからね。ある部分は好きだし、自分の住処ではあるんです。でも、ずいぶん家の様子も変わってきちゃって。

箭内: 家の様子が変わってきたというのは?

伊藤: 昔はコンテが"契約書"じゃなかったじゃないですか? 絵コンテはあくまで骨子で、現場に行くといろんなことが起こって変わっていく。私、高杉(治朗)さんと一緒によく仕事をしたんですけど、高杉さんって現場で起こることを巧みに演出に取り入れるんですね。

箭内: 「ランボー(サントリーローヤル)」の頃ですか。

伊藤: それもご一緒しましたけど、別のサントリーの仕事で、ペンギンの衣裳をデザインしたことがあって。それは5人くらいの出演者がその衣装を着て、舞台で全員が同じ動きをするというコンテなんです。ところが、ちょっと運動神経が悪いような女の子がいて、どうしても一人遅れちゃうんですよね。3回4回やったんですけど。そしたら高杉さん、すぐにパッと切り替えて、遅れちゃうっていうことをむしろ面白く見せる。

箭内: そのCMも覚えてますけど、最初からそういう企画なんだと思ってました。

伊藤: いや、違ったんです。昔はそういうふうに現場で変わることが結構ありました。それを喜ぶクライアントもいて、みんなで一緒に遊んだっていうか、すごく密接に一緒につくっていった感じがありますけど、いまはヒエラルキーがすごくしっかりしているというか。

箭内: いま、みんなで一緒に遊ぶように仕事ができると、すごくうらやましがられますよね。

伊藤: その意味では、私は恵まれてましたよね。でも、恵まれているときには、自分が恵まれてるなんて全然気がつかなかった。若い頃にご一緒したディレクターって、もうみなさんいらっしゃらないんですけど、そのディレクターが思う世界に必死についていって、つくりあげるということに、全身全霊を捧げることができたんです。自分がつくったものが映像になって一人歩きしていくのは、すごく面白かった。
でもね、昔は本当に、仕事のことしか考えてなかったから、ずいぶんいろんな人に迷惑をかけたと思うんですよね。あるとき、私がワガママなことを言ったら、カメラマンの横須賀(功光)さんに、「あなたが通る道を先に掃いておいたのに…」って言われたことがあるのね。私、そんなこと全然知らなくて。それは本当に悪かったなあと思ってます。

箭内: ちょっと自分の話させていただくと、僕は横須賀さんと仕事でご一緒したことはないですけど、若いときに博報堂時代の上司が、横須賀さんとごはんを食べるというので、ついて行ったことがあるんですよ。そのとき「君はいままでにいないタイプの制作者になるよ」って言ってくれたんですね。
もう25年ぐらい前の話ですけど、いま思うとその言葉に背中を押されたところはあって。そういうひと言って、若い人にとんでもない勇気を与えますよね。