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Vol.18

脳科学者
林(高木) 朗子

昨年発刊された講談社ブルーバックス『「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』が重版を記録、最前線の臨床医や脳科学者が執筆者に名を連ねるオムニバスで、専門的な内容ながらなぜ売れ続けるのか。一方で脳科学は、未来のAIとの連携が欠かせないとされる注目の領域でもある。
精神科医から脳科学者に転身し、シナプスの謎に迫る「統合失調症の巨大スパイン仮説」を提唱する理化学研究所 脳神経科学研究センターのチームリーダー林(高木)朗子氏は、この新書の編集を務める気鋭の脳科学者。日々心の病の原因究明に取り組む林先生にお話を聞いた。

「心の病」のなぜを探して
脳科学でダース・ベイダーに立ち向かう

生涯罹患率8割? 「心の病」の根治治療を見つけるために

多くの現代人を苦しめる「心の病」は、脳のちょっとした変化から生まれる。誰にでも起こりうるこの病は、何が原因で、どのようなメカニズムで生じるか?最前線の研究者たちが解説する『「心病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』(講談社、ブルーバックス)。

―もとは精神科医だったということですが、なぜ脳科学者へ転身されたのでしょうか。

臨床医をしていたとき、治りにくい患者さんに数多く出会いました。うつ病でも統合失調症でも、本当の原因は明確にはわかっていないんですね。例えばコロナウイルス感染症ならコロナウイルスが細胞障害を引き起こしていると明確ですが、精神疾患の場合本質的に何が悪いのかわからない。必然的に根治薬も存在しないんです。
もちろん精神科医にできることはたくさんあります。ただ私の場合は、自分の力だけでは出来ないことが多すぎる!自分は患者の役に立てていない!という不全感で自分の精神が参ってしまった。それならば研究をしようと考えました。大学で脳科学の研究を始めてみたところ、こちらでの方が役立てるかもと感じて…。そこからもう20年です。
夫は現役の精神科医なんですけど、彼がよく言ってるのは、精神科医には上中下っていうのがあると。「下」っていうのは、患者の疾患しか見ない。例えばうつ病ならうつ病しか見なくて、その患者さんそのもの、その家族、その生い立ち、その個人史っていうのを見ない。患者さんの人柄、家族、そういうものまで見るのが「中」の精神科医なんだそうで…。じゃあ、「上」って何なのって訊いたら、「上」っていうのは社会とか、そういう最も大きな外側まで含めてその人のことを考えるのだと。俺は上医になりたいんだ、とおっしゃっています(笑)。そういう人なら不全感に苛まれず、臨床医に向いているのでしょうね。

―「生涯のうちに約8割の人が精神疾患にかかる」と書かれているのを読んでびっくりしました。

統計にもよりますが、一番多い統計だと生涯罹患率は8割。少ないものでも3~4割に達します。日本で生じてしまう自殺の3分の2は、何らかの精神疾患に罹患している方だろうと推定されていますが、その半分が医療機関を受診していないようです。その意味でも精神疾患を正しく啓発することは重要で、講談社の方から出版を依頼されて『「心の病」の脳科学』を編集しました。当時は、そんなに需要があるのか疑問でしたが、講談社のブルーバックスとしては近年まれに見る売り上げだったそうで驚きました。

シナプスにブルーライトを当てると 記憶が消える!?

―先生が脳科学の中でも、シナプスやスパインを専門にされたのはなぜですか?

ここ理化学研究所 脳神経科学研究センターでは、海馬を研究する人、手綱核をやっている人、サーキットレベルを研究したい人と、みなさん自由に様々な脳領域の解明に取り組んでいます。
脳というと記憶というイメージがあるかもしれませんが、記憶以外の機能も司っています。「今何をすべきか」というときには実行機能を司る沢山のニューロンが協調して活動しているし、「ケーキ食べたい」、でも「食べたら太る」というときの意思決定は、「食べたい」という中脳からの快楽シグナルと、「食べたら太る」という側頭葉にある知識のシグナルが共に前頭前野に来て、その二つの情報を統合した前頭野のニューロン集団が最終決断します。人間の脳には約1000億ものニューロンがあり、これらのニューロンが協調して働くことで適切な脳機能を実現できるわけですが、そのためにニューロンは、シナプスという微細構造を介して、お互いに結合しなければいけません。
私は統合失調症がなぜ起こるのかを明らかにしようとしていますが、本症の発症に遺伝的な素因が大きいこと、そしてその遺伝子の多くがシナプスに関係していることに着目しました。

―巨大スパインにブルーライトを当てて壊すという先生の研究の発想がすごく独創的ですね。マイクロの世界でそこだけピンポイントに照射したりできるんですか。

いえ、ブルーライトは広く当てるんです。ただ、その光が当たるとその近傍の構造物を破壊するASプローブという爆弾みたいな仕掛けをつくりました。爆弾をあるシナプスだけに特異的に仕掛け、ねらったスパインだけを破壊するという戦略です。分子生物学的には意外と簡単なことで、抗体を用いたがん治療でも特異的にデリバリーするものが実用化されていますね。

青い光を感知するとフタが開くセンサー分子が植物にはあるんです。その仕組みを用いて、光が当たっている間はスパインを破壊する分子があらわになるという構想でASプローブをデザインにしました。スパインは大きくなるときに、必要な材料を大量に吸い込む特性があります。ASプローブはその材料に似た構造をしているので、間違って吸い込んでくれるんです。 そして、ある学習をさせ、その学習の時に大きくなったスパインに爆弾(ASプローブ)をしかけたら、マウスの記憶を消すことができました。つまり学習に伴い大きくなったスパインが記憶のメカニズムだったと実験的に示せたわけです。

神経細胞の仕組み
神経細胞には、信号を受ける樹状突起と信号を出す軸索という2つの突起があり、周囲の神経細胞とつながっている。軸索と樹状突起のつなぎ目がシナプス。樹状突起に発生する棘状構造のスパイン(受容体)は信号を受けるとシナプス後電位を発生させる。
【出典:『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)より】

「疾患」と「特性」は紙一重

―芸術家の方と実際にお会いすると、衝動的で「ぶっとんでるなぁ」と感じる人と遭遇することがあります。まさに「巨大スパインに支配されているのでは?」みたいな印象です。そうなると、そもそも“正常”ってなんなのだろう、という疑問がわきます。

精神疾患の定義というのは、本人が困っているか、周りが困っているかというある意味曖昧なものです。疾患の様子が実際にあっても、自分も周りも困っていないなら病気ではないんです。すごく衝動的な人でも、ジャングルでひとりで楽しく住んでいるなら何の問題もない。それが街中で人に危害を加えていたら、反社会的な人格障害です。

―周りから「ぶっとんでる!」と思われるような有名な芸術家や建築家の脳を調べたら異常があった、ということもありうるということですか。

どのパラメーターかにもよるんじゃないのでしょうか。自分が困っていないし、周りも「クセ強いけどいい建築建てるからいいや」と社会的な折り合いがついているなら病気ではない。ただ、心理検査をいろいろしてみると何かに引っかかる可能性はあるかもしれません。

アインシュタインだって発達障害の一種だったと言われています。今でいうギフテッドですね。このように、天才と呼ばれる人がどれだけ精神病理的な体験を持っていたか、どんな症状があったかを調べる「病跡学」という学問もあるくらいです。最近は、「疾患」ではなく、「特性」と捉える見方が主流になってきており、個人と社会が健やかに生きていくために、この辺りは議論を続けないといけないでしょうね。

神経細胞の民主主義が壊れるとき

―先生が取り組んでいらっしゃる「統合失調症の巨大スパイン仮説」について教えてください。

統合失調症の発症に関連するとされる遺伝子多型を調べてみると、その遺伝子の機能が悪くなるような多型があります。その中でも、よりエビデンスが高いものにDISC1とSETD1Aという遺伝子があります。そこで、それらの遺伝子の機能が悪くなるようなマウスを作製すると、通常の健康なマウスと比べると、やたら大きくて強いスパインがあるんですね。普通のサイズのスパインの場合、多数の入力が同時に入らないと神経細胞は発火しませんが、大きなスパインの場合、少数のスパインへの入力ですぐに発火して、次のニューロンへシグナルを伝達してしまう。大勢の意見が必要な神経細胞の民主主義が崩れ、極一部の意見だけ採用される強い独裁状態になってしまうんです。

―ダース・ベイダーのような巨大スパインによる独裁状態ですね。

ネズミでこういうことが起きているのは間違いないとわかりました。次はそれが「人の統合失調症と関係しているか」を証明する必要があります。患者さんの死後脳を調べるしか方法がないのですが、やはり大きいスパインが統計学的に優位にみられました。間接的ではありますが、ひとつの証拠ではあります。
どうせ相手にされないなと思いつつ、この知見を臨床医に話してみると、意外にも「臨床的な自分の体感と合う」と言ってくださるんです。例えば統合失調症の患者さんで、同じ人が同じ声で、同じトーンでずっと「お前の母はスパイだ」という幻聴があるとします。このような事が脳内で繰り返し生じるためには、同じ神経細胞が同じタイミングで発火している必要、つまり同じシナプスを使って、いつも同じ順番で発火していないとこんなことは起きないと考えます。そのことと、「強いシナプスがある=あるニューロンが同じ順番で発火する可能性が飛躍的に高まる」こととは、臨床医の感覚として合うのだと。

―これまでの仮説は「スパインが少ない」となっていたそうですが、それはなぜでしょう。

実際、統合失調症の脳のなかでシナプスは少ないんです。でも、少ないというだけでは説明できない事象が多かった。一番新しい研究で、どんなシナプスが減っているのかと調べているのですが、小さいスパインが減っているのだそう。小さいスパインというのは、スターウォーズでいうところのストームトルーパーのようなもので、多少減ったところで支障はないんです。神経生理学的に考えて、そこが少なくても脳の機能に重要とは思えません。
なぜ巨大スパインの存在にこれまで誰も気づかなかったのかというと、スパインの大きさを計るのってすごく大変なんですよ。私たちはひとつ一つのスパインに特異的にシナプス入力を入れる実験をしているのですが、これは極めて難しい。平均的なスパインの直径は1マイクロメートル(0.001㎜)以下なのですが、そこにグルタミン酸をかけなくてはいけない。とても難しいのですが、ようやくできるような環境になった。やってみたら、新しい仮説ができたということです。

―正常な人にも少しは巨大スパインがあるということですが、頑固な人は多めにあるということは? 認知症にも関係するんでしょうか。

あるかもしれないですけど。その辺のヒトのデータは何ひとつありません。認知症の死後脳でスパインサイズをまじめに測った研究なんてないと思います。とにかく私のやっていることはマニアックなんですよ。実験が桁違いに難しいというか、面倒くさい。論文ひとつ書くのに何年もかかります。そうなると簡単に論文を書けるテーマに研究者が流れますよね。何かが流行ると、それが正しかろうが正しくなかろうが、ワーッと人が集まってしまう。だから研究ブームが間違ってしまうと最悪です。そのフィールド自体が終わってしまう。そんな話はいっぱいあります。

テーラーメイド医療に向けて

最近よく言われているのは、テーラーメイド医療というやつですね。個別化、層別化、バイオタイピングするとも言います。同じ発達障害でも、感覚過敏と感覚鈍麻があります。過敏な方に合わせた環境調整は必要だし、同じ患者でも状況によって違うかもしれないし。今話をしているこの会議室で、蛍光灯の光も空調の音も気にならないのは、私たちの脳が感覚のゲートを閉めて会話だけを通そうと調節しているから。無意識にできているわけだから、脳というのはおもしろいですよね。その多様性の根底にあるシナプス・ニューロンのメカニズムを解明したいと思っています。そうすれば、より最適化したテーラーメイド医療ができるはずです。

―研究者としてこれからやってみたい夢はありますか?

より多くの真実を明らかにして、生きているうちにひとつでもいいから創薬なり治療なりの端緒になればいいかなと思っています。自分たちが病気になる前に治療をつくらないと間に合わないから(笑)。

—日本は治療の実装までのプロセスが大変だと聞きますが?

大変なんです。もちろん事故があってはいけないのだけど、本当に少数のマイノリティの有害事象を危険視するあまり、その何十倍もの人にベネフィットがあるのに認可されない。有害事象に非常に重きをおいている。それは当然のことではあるのですが、アメリカとはまったく制度が違いますね。