小泉秀樹
「コミュニティデザイン」という言葉を耳にしたことがないだろうか。少子高齢化や地方再生といった課題先進国日本で、地方創生や都市再生に注目が集まっている。コミュニティデザインとは、いったいどういうものなのか?なぜ、今必要とされているのか? 第一線で数々のまちづくりに携わり、コミュニティデザインの社会実装に取り組む小泉秀樹教授の研究室を訪ねた。
コミュニティデザインとは何か?
東日本大震災で被害を受けた陸前高田市において、地域住民の発意により創出された[りくカフェ]は、2015年グッドデザイン賞を受賞。NPO法人りくカフェ、小泉教授の研究室など多くの人と企業・団体が共同プロデュースした。
―コミュニティデザインとは何ですか? それはなぜ必要なのでしょう。
日本でコミュニティデザインの必要性が議論されたのは、1960年代後半の高度成長期でした。都市に人が集まってきて、その人たちを包摂するような受け皿が必要になった。ニュータウンがつくられましたが、そこにどういう地域社会をつくっていくべきなのかという議論が起こりました。開発で自然環境が失われる中、地域で自分たちがガバナンスをして生活をつくることが大事ではないかとの議論も。従来の自治会や町内会ではない、新しいコミュニティが求められた。ただこの時点でのコミュニティは「規範概念」「理想形」でした。
1970年代後半から80年代の日本経済が低成長に入った頃、都市への流入がひと段落して若者たちが自分の町にUターンしようという、今と同じようなムーブメントが起きました。コミュニティデザインは成長型の都市計画ではなく、「すでにできている町をどうしていくのか」という方向で論じられるようになった。すでに住んでいる人を対象に、どう新しい地域社会をつくるか。そのための物理的な空間のリデザインがテーマになりました。
その後阪神淡路大震災が起きて復興する過程で、地域社会を継承もしくは新しくつくり出す必要が出てきた。コミュニティづくりの重要性がこの時期に再認識されたのです。1998年に施行されたNPO法はひとつのターニングポイントとなり、物理的には公共事業が復興させましたが、社会的に再生していく過程はボランタリーアクションが支えていきました。ちょうどインターネット普及のタイミングで「困っている人」を「それを知った他の人」が助けるという直接支援の形態が生まれ、さまざまなボランティアが地域に入ってきて新しいコミュニティのありようが萌芽的に生まれてきました。
当時、僕とほぼ同年代の情報デザインなどの分野で「物理的な空間から一度離れて、社会的側面のデザインに重点を置いたコミュニティデザインを考えるべき」と発表した人が、僕を含めて3人いました。空間的なテリトリーの中での社会関係のデザインを、新しい形のコミュニティデザインと呼ぼうと。こうして90年代後半くらいに理論と手法の面で整理されたのです。
2011年の震災では、また同じことが起こりました。空間だけを再生しても地域の再生にはつながらないと、改めて問題意識として持たれた。これで4回目のコミュニティデザインのブームが起きたという流れです。
コミュニティデザインは、「担い手をどうつくり出すか」
―実際にコミュニティデザインを行なう時、どのようなアクションをとられるのでしょうか。
近年のコミュニティデザインは、「計画」より「具体的なアクションを生み出すコミュニティ」をつくる取り組みです。似たような関心を持つ人たちをグルーピングして、アクションする組織に成長させていきます。最初にその地域のステークホルダーを探すというやり方もあります。こうした方法は僕らのチームが日本で初めて実践的に行ったのですが、今では普及しています。以前の都市計画は、「計画書ができる」が出口でした。でももっと重要なアウトプットは、「空間を使いこなす担い手をどうつくり出すか」なのです。
―日本ではどの地域も少子高齢化・地方再生など共通の課題を抱えています。だとするとどこでも同じ課題解決型デザインとなるのでしょうか。
それは全然違います。地域ごとに課題は違うので、まちづくりはローカルなイノベーションの積み重ねなんです。金融システムのようにグローバルに均一な支配がされるわけではない。
世界的な課題として高齢化や地球温暖化にどう取り組むかという枠組みはありますが、地球全体で取り組めること、国家として取り組めること、ローカルなアクションとして取り組めること、個人としてやるべきことは、各々別にある。それらがうまく結びつき合うことで解決していくべき課題です。一口に「少子高齢化」といっても、現われ方は地域によって全然違います。コミュニティデザインはローカルなレベルでのアクションなので、個人や地域の人々への働きかけを担うのです。
1981年に神戸市から取り入れられ始めた「まちづくり条例」は、住民の意向や自治体の意思を反映した地域づくりを、法定の都市計画とは別につくろうという動きの広まりでした。2000年くらいに大きな市民参加のうねりが来て、条例が全国的に広がりました。段階を追って普及する中で、各々の時代背景とともに新しい要素が加わり、中身が充実し、自治体同士で参考にしながら自分たちなりの条例をつくりだしました。クリエーションの循環がすごい勢いで起きて、すでに6~7割の自治体にまで普及しました。その中で、地域に合った形と、新しいイノベーティブなアプローチが生まれていく。「サステナブルなまちづくり」で画一化するわけではなく、それぞれ違う姿で現われてくるのがおもしろいところです。
もうひとつは、衰退している地域に「以前のような住宅地をもう一度」と考えるのではなく、課題に基づいて新しい未来を考える必要がある。回顧主義的アプローチではなく、歴史や文化をふまえつつもいかに今と未来に適合した地域に変えられるか。それはとても革新的なことだし、うまくいけば地域の価値が反転して若い人の住みたい町に変わるかもしれません。
―なぜ「担い手をつくり出す」方法にたどり着いたのですか?
総務省の事業や国民生活審議会での議論をレビューしていて思ったのは、これは実体概念ではないなということです。「こうあるべき」というコミュニティ像はあっても、それは地域に根差した組織からは大きなギャップがある。双方をどうつなぐのかは理論化されていませんでした。
僕らがコミュニティをデザインする時は、まず対象が何なのかを探ります。自治体、町会、商店街の既存組織や、地域でやりたいことへの思いのある人、NPO、スポーツクラブや少年団など、いろいろな組織的リソースや人的リソースが対象となります。そういった地域の資源の現状を読み解いて、課題解決もしくは目指したい未来に向けてどうアクションを組み立てるのか、組織の形成やリデザインをどうするか。そこから方法を組み立てようと考えました。
「どういう地域に」「どんな活動団体がいて」「自治体の現状はどうで」「キーパーソンがいるのか」など、リソースを把握した上で、地域の人と話し、地域の抱える課題は何かを探る。「これを目指すけれど」「今のリソースだとこの課題が残るだろう」と仮説を立てて、ではどういう組織体や取り組みを生み出せば解決するのか。地域の人たちと共有しながら考えを進め、新しい活動体を生み出していきます。
―例えば少子高齢化が顕著な地域では、将来的な不安を見据えてリデザインをするということになるのでしょうか。
いまの日本の全体的な文脈から言ったらそうですね。もちろん空間的側面も大切で、空き家の利活用とコミュニティ活動の展開は大きく関係します。地域社会では、公共空間と、そこから生まれる活動は切っても切れない関係ですから。とはいえ僕らが取り組みを始めた頃は、そこまで日本の課題として認識されていませんでした。むしろ地域で身近な人々と会話する中で、地域の課題を各所に見つけていきました。日本全体として平均的に語れば人口減少や空き家問題が上がってくるけれど、どこに一番の課題があるかは地域によって違います。社会的な資源のリデザインに重点を置いて、そこを理論化したいというのが僕のアカデミアなんです。