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Vol.20

白百合女子大学/准教授
トリスタン・ブルネ

日本のアニメはいまや一大産業、海外でも広く熱く受け入れられている。中には人生を変えるほどの影響を受けた人たちもいる。白百合女子大学で教鞭をとるトリスタン・ブルネ氏は、フランスで日本アニメが社会現象にもなった「クラブ・ドロテ世代」として衝撃を受けた一人、『北斗の拳』フランス版の翻訳も担当した。著書『水曜日のアニメが待ち遠しい』には当時の時代背景が詳細に記されている。世界を夢中にする日本アニメ文化は、今どこにいて、どんな影響力や可能性を持っているのか。オタクを自認するブルネ氏へのインタビューは想像を超え、世界観や哲学にまで話は及んだ。

日本のアニメとフランスの世界観、
偶発的な出会いが想像力を生んだ

フランスの子どもを「ワクワクさせた何か」の正体は?

―子供のころ日本のアニメにはまったブルネさんが、その後日本に住むまでにどんな流れがあったのでしょう。

70年代の終わりから90年代半ばまで、フランスでは日本のアニメが数多く放送されていたんです。その世代のフランスの子供は、みんな日本のアニメにハマっていました。
その後、フランスでジャパンバッシングがおきた影響で急に放送がなくなってしまったのですが。その頃私は高校を卒業して大人になっていて、アニメとは距離を取っていました。実際には『新世紀エヴァンゲリオン』『カウボーイビバップ』にはハマっていたのですが、それは専門的な店でVHSを買うしか観る方法がなかったので、もうその頃にはオタクしか観ていなかったんですね。アニメに夢中になるなんて子どものやること、というイメージが社会にあったので、プライベートで楽しむに過ぎなかったのです。

―それがどこで、日本に来るほどの進路に変わったんですか。

今でも「何があったんだろう?」とよくわかりませんよ(笑)。最初私は医者になるために医学を学んでいましたが、科学より人文系に興味が向くようになりました。アニメへの興味に蓋をしながら歴史や人文を学んだ。社会や両親の影響で、真面目な人はアニメに没頭したりしないという考え方が根強かったから。それでも日本のアニメやサブカルチャーに妙に魅力を感じて、引き寄せられて…。アメリカからガンダムのビデオを買ったりしていました。『ガンダム』の最初の3つの映画です。でも、続編の『機動戦士Zガンダム』はアメリカ版がなくて、日本から買うしかありませんでした。そうなると英語字幕もつかず、当然100%日本語。仕方なく日本語の勉強を始めました。私の求めるものを楽しむには、日本語を学ぶしかなかったんです。子どもの時に私をワクワクさせた何かに、戻ることができたのでは…と。

―「ワクワクさせた何か」ですか?

ただ、子どもの時の思い出というものではないんです。ガンダムは大人になってから観たものですしね。子どもの時に私をワクワクさせた『UFOロボ グレンダイザー』『宇宙海賊キャプテンハーロック』などにあるエッセンス。その裏に「この時代はなんだったのだろう」「どうしてこんなにも自分の中に残っているのだろう」という疑問もありました。
それで私は日本語を学び、戦後日本の歴史を学び、修士、博士と進みました。ただ、やっぱりちょっと自分に嘘をついていましたよ。アニメのために日本語を学んでいたのに、それを100%は認められなかったんですよ。そんなに単純なものではなかった。ほかの日本のアニメやゲームを好きな人と話したりしていましたが、共感できる一方で何か違うとも感じていた。
フランスで、フランス人として、フランスの家庭で育った私が、日本のアニメを観たことで感情の深いところに生まれたものは何かと理解したかったんです。日本と無関係だった私に深く響いたものはなんなのかと。

―ただ日本が好き、というわけではなかったのですね。

そうです。日本の歴史を学ぶうち、日本にもいろいろな日本があるし、文化や政治のことを知って、私に響いたものに近づくことができました。日本を理解し、自分を理解し、日本とフランスを同時に理解できた。その世界の中に、あの出会いがあったと考えることができました。
というのは、日本のアニメには「共有できる部分」と、フランスでは「子どもに見せてはいけないとされていた何か」があったのです。それを私も、同世代の人たちも感じた。

巨大ロボを突き動かした「技術」と「政治」

フランスの子どもたちは、日本のアニメのおかげで「覚えちゃいけない何か」を覚えたんです。例えば、戦争。
日本のアニメでは戦争の残酷さ、複雑さ、暴力性、権力の残虐性を描きました。同時に、人間の誇りを守ろうとする偉大な人物が出てくることも表しています。当時フランスではそういったものを子どもに見せない方向へと社会が向かっていた。だから我々は日本アニメとの出会いを通じて「私たちに隠されている何か」がこれか!となった。一度見れば、それ以外のフランスの子ども番組が嘘っぽく見えた。日本アニメこそ子どもたちの求めるフィクションだったのです。

私を一番ワクワクさせたのは、巨大ロボットでした。それも、人間に操縦されるロボットです。当時日本アニメのメインジャンルであり、80年代にかけて日本アニメを成長させたジャンルでもありました。そしてガンダムからパトレイバーと、だんだん大人に対象が向いていきました。私は、巨大ロボットはどこからきたのか、どうしてフェティッシュされるようになったのか、なぜこの形で時代にフィットしたのかと考えるようになりました。
『海底二万里』*1のノーチラス号など、いろいろな作品に想像上の乗り物は登場します。その乗り物が何なのかというと、それは「技術」と「政治」です。政治というのは、技術のあるべき形を創造するということ。それがフィクションに現れるようになっていった。19世紀はノーチラス号、80年代は巨大ロボットでより明確に、具体的になりました。

―創造には時代背景があるはずだ、と。

そうです。「人間」「世界」「技術」の関係性。人間と人間、人間と世界、人間と自然…その中にあふれるようになっていった技術という媒介。関係性を創造するためのフィクションをつくった。

―フィクションをつくるエンジンになるようなものがあるはずで、それは時代背景から出てきているのだろうと。

そうです。日本の巨大ロボットアニメは、その時代の技術に対する信仰と、民主主義的な疑問を映しています。疑問というのは、そんな技術が存在する世界で、人間は本当に自由でいられるのか。また、人間は平等というのはどういう意味なのか。

―「技術がすべてでいいのか?」という疑念ですか。

そうですね。宗教的な問題でもあるかもしれない。
ロボットアニメにはキリスト教の影響も出てくるんですよ。日本独特の歴史、日本の職業的な感覚、そして技術の創造にも影響されて、技術と人間の関係性に矛盾があると目を向けるようになった。当時のフランスでは、そういう関係性から目を背けようとしていたのではないかと思います。

*1 ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』: 1870年刊フランスのSF小説。謎めいたネモ艦長によって極秘裏に建造された潜水艦ノーチラス号による海洋冒険譚。実際に人類最初の潜水艦が完成したのは1888年(スペイン)のこと。

日本のアニメはなぜフランスに受容されたのか

―当時フランスにはバンド・デシネ*2が主流でしたね。マンガはわりと大人向けのものだったのでしょうか。

もともとは子ども向けでしたが、60年代にだんだん大人向けになっていきました。芸術と認められたくて、子どもっぽい面から離れていったんですね。
例えばメビウス*2は最初、手塚治虫の漫画は子どもっぽいと嫌悪していました。上から目線の偏見のせいで、手塚作品の豊かさを見られていなかった。あとからだんだんわかっていったけれど。だから日本のアニメが放送されるようになった当初は、絵が下手などと批判されていたんですよ。ディズニーとも比べるしね。

―その後日本アニメがフランスで流行った理由の一つに、民族の区別がされていないことを本の中で指摘されていますね。

たしかにそれも一つの側面です。ただ矛盾もある。それは別に外国に向けてつくられたものではないですから。民族構成がフラットな島国で、人種の区別をする必要がない。フランスでは問題化されつつあった移民・人種問題が日本には存在しなかった。だからこそ、日本のアニメはフランスの白人、移民としてやってきたアラブ系、アフリカ系の人たち、誰もが共感できたんですね。
『UFOロボ グレンダイザー』は、宇宙から落ちてきたデュークフリードが地球人の容姿になって地球を守ろうとする話です。「星から落ちた王子様」のようなパターンは、キリスト教にもユダヤ教にもイスラム教にも存在する強い物語のパターンなんです。

―神に召された唯一の存在ですね。

そうそう、メシア的な存在。しかも外から来るメシア。移民にとっても、同じく外から来てその国のひとりになりたいのだから。
日本では、宇宙からではなく、それはアメリカとの関係として描いたのに、フランスでは、フランス人と植民地から来た移民という関係性とも受け取ることができました。日本はそんな政治的な目的を持たずつくっているんですけど。

―コンテクストがフランスにハマったんですね。

ハマったというか、ある意味では(編集・翻訳を通じて)作品をつくり直した。だから『グレンダイザー』はフランスでは神話的な作品になったと言えます。もちろん元から素晴らしい作品ですが、フランスに移植され、フランスバージョンで翻訳されたことで、日本人が表そうとしたことが無意識に明確化された。

日本の創造は複雑で、フランスにもその複雑な面がある。共有される部分がゆがみによって強くなった、力を持った。その後放送された『キャプテンハーロック』はフランスの『海底二万里』のネモ艦長とイメージが重なったので、日本より人気が出ました。おもしろいですよね。日本の作品が、フランスでは違う価値観で受け取られた。今の状況でそれが可能かどうかはわかりませんが。

*2 バンド・デシネ:フランス、ベルギーなどにみられるハードカバーの漫画本。略称は、B.D.(ベデ)。アメリカン・コミックス、日本の漫画と並んで世界3大コミック産業の一つといわれる。「9番目の芸術」とも呼ばれ、大人向けのアートとしての人気も高く、世界の大衆芸術に影響を与えた。代表的な作家にメビウス、エンキ・ビラルなどがいる。

日本のアニメは人や社会の曖昧さ、複雑さを描く

トリスタン・ブルネ著『水曜日のアニメが待ち遠しい ーフランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』(誠文堂新光社)
日本アニメに触発されたフランス人オタクの個人史であると同時に、日仏サブカルチャーの交流史としても興味深い著作。

―著書の中で、「深い共感が日本のアニメの特徴」と書かれています。例えばガンダムのシャア・アズナブルは、単純な悪役ではなく感情移入できるキャラクターとして描いています。キリスト教の世界では、悪は悪でしかありませんね。

そうです。ただ、キリスト教でも「悪魔は神の真似をする」という言い方もします。悪人なら簡単だけど、「ほぼ善」の人のほうが危ない。実は、善悪をきっちり区別して描く文化は、結構最近、僕が子どもだった当時より以降の話ですね。
『海底二万里』のネモ艦長も、善か悪かははっきりしていません。国によるとは思いますが、人は善悪の間のグレーゾーンを見たがります。ガンダムはフランスで放送されていないのですが、されていればシャアは人気が出たと思います。

フランスのDICというアニメ会社は、日本と合同で『宇宙伝説ユリシーズ31』『太陽の子エステバン』*3を制作しました。日本ではそれほど人気が出ませんでしたが、フランスでは大ヒットしたんです。エステバンはまだ子どもで、彼を守る30歳くらいの冒険者メンドーサが出てくるのですが、この人物は道徳的に曖昧な人。エステバンを利用しようとしているのか、守ろうとしているのかよくわからない。信じていいのか、だめなのか…。彼はとても人気があったんです。
ところが、次にDICはアメリカと合同制作するのですが、彼のような曖昧な人を出そうとしたところ叶いませんでした。アメリカではグレーゾーンはだめで、誰が善人で誰が悪人なのか、子どもがすぐにわかるものでないとNGです。

―フランス映画とハリウッド映画みたいですね(笑)。

フランス映画と日本映画のほうが、関係は深いですよね。子どもは、10歳にもなればグレーゾーンを受け入れられるものです。でもフランスでは日本アニメが来るまでは、フランスかアメリカのアニメばかりでしたから、子ども扱いで…。
アメリカのアニメには絶対に暴力があってはいけないと、とても厳しかった。80年代にアメリカで人気だったアニメに『G.I.ジョー』があります。アメリカのアニメはおもちゃを売るためのコマーシャルのためにつくるのが主でしたから、フィギュアG.I.ジョーのバージョン変更に伴い、それを売るためにアニメをつくりました。アメリカ軍のエリートが、コブラというテロ組織と戦う話です。フィギュアはリアルにつくりこまれていて、人形についているカードにはそのキャラの戦歴、使う武器、出身校などが書かれているんです。すごく、現実的。
一方でアニメを観ると、子どもに暴力を見せてはいけないから、銃からはレーザーのような擬似的なものが出てリアルではないし、誰も死にません。子どもにだってすぐに変だとわかります。アメリカは世界一軍の力がある国なのに、逆にアニメではどこよりも暴力を禁止する。「私たちの軍はすごい!」と言いながら戦争は見せない。
日本のアニメはその逆でした。暴力の政治性を感じられる作品をつくった。敵でも死ぬときは英雄として死ぬことができるとか、敵同士が認め合うことがあるということを観ることができたんですね。

また、日本のアニメでは誰がどういう人なのかと説明する必要がない。そもそも日本人がつくった日本人のためのアニメだから、「この人はこういう人で」と説明することなく描かれている。日本から見るとそれは当たり前だけれど、フランス人からは当たり前ではない。説明されないから、曖昧なまま楽しめます。自由に共感する余地が残されている。

―スペックや先入観なしで、そこにある人物として見ることができる。そこが新鮮に映ったんですね。

*3 『宇宙伝説ユリシーズ31』『太陽の子エステバン』: DIC Audiovisuel (1971~87、後の米DIC Entertainment)は当初東京ムービー新社と『宇宙伝説ユリシーズ31』を、スタジオぴえろと『太陽の子エステバン』を日仏共同制作した。『エステバン』は1982年制作の冒険アニメ。フランスではA2の子供向け番組「レクレ・ア・ドゥ」で、日本ではNHK総合で放送された。