一般社団法人 日本アド・コンテンツ制作協会(JAC)との共同企画!
プロダクションの精鋭プロデューサー、ディレクターによる制作現場レポートです。
今回は、JAC AWARD 2017にて「リマーカブル・プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した
岡澤のり子さんに、プロデューサーになるまでのお話や、お仕事の魅力を語っていただきました。
毎日が楽しいPMの仕事
私はもともとカメラマン志望で、大学は映像学科に進みました。卒業後は機材社に行くことが決まっていたのですが、入社まで半年待ってと言われたので、それまでのつもりでとある制作会社に入りました。制作という仕事のことはよく知らなかったのですが、卒業制作で映画をつくっている時に、仲間から「もしかして制作やったことあるの?」と言われて、“私ほめられた? 制作向いてるのかな”となったんですね(笑)。
そんな動機だったのが働き始めてみると、毎日が楽しくて。行く予定だった会社には、お断りを入れて制作として働くことに。その制作会社は1年半でなくなってしまったのですが、その際、信頼している上司に別の制作会社に誘っていただきました。誘ってくれた上司も、新しい会社の社長も、頼り甲斐があって楽しそうに仕事をしていて、「こんなプロデューサーになりたい」と感じたことを覚えています。
そして、今所属する二番工房へ移ってきたのが7年前。東京ガスの「ガス・パッ・チョ!」シリーズに携わり、「どうすればもっと面白くできるか」と自分で考えて工夫のできる仕事にやりがいを感じていました。
産後の職場環境
妊娠がわかったのは、やりがいを感じて取り組んでいた東京ガスのシリーズの1作品が完成した狭間でした。うれしいのと同時に、仕事はどうなるんだろうと不安を感じたことも覚えています。臨月間際のぎりぎりまで働いて産休に入りましたが、その時は「戻ってきたら、まあなんとかなるはず」とお気楽に考えていました。
1年弱の育休ののち、会社に復帰。前例もないし、小さい子を抱えながら制作部は無理だろうと、時短勤務で業務部への配属となりました。そのまま事務仕事を続けることを提案されましたが、制作をやりたいですとお願いし、最初は時短のまま制作に戻りました。
初めての育児で、自分にも本当に制作の仕事が務まるのかどうかわかりませんでしたが、制作を続けたかった。ここまでやったからにはプロデューサーになって、そこから見える景色を見てみたかった。とは言え、時短で制作ができるのか皆さん疑問に思ったようで、なかなか仕事を振ってもらえませんでした(笑)
そんな中、その様子を見ていた女性プロデューサーに「一緒にやろう」と誘ってもらえてメイン制作として働く機会をいただきました。自分がスケジュール管理をする役割ということもあって、うまく調整することができたり、長くやっていた分経験でカバーできることもあり、その仕事が滞りなく行えたことで、自分の中で「できる」という自信をつけることができました。実際のところ、それまで夜中までついダラダラと仕事をしていた時間を、産後は有効に使えるようになった気がしています。それまで日々のことしか考えていませんでしたが、時間が少ないから長期的に香盤を考えるようになり、だいたいは夕方までに問題なく終わらせられるようになりました。
前例になろう
子どもがいても仕事はできるということを証明しようと、時短を解除し通常業務に戻しました。夫に子どもの保育園のお迎えを担当してもらうなど家族の協力を得ることができたし、仕事は問題なくできていたので、「以前と同じように働ける」と自信もついていました。妊娠前に「次はプロデューサーにするつもりで考えていた」と上司から言われていたこともあり、そろそろプロデューサーになれるのではと考えていましたが――なかなかそうはいきませんでした。
どんなにがんばってもお母さんはプロデューサーになれないのだろうか、なれないのなら仕事を続ける理由はあるのだろうか。もう十分がんばったんじゃないか……そんな思いを上司に相談したところ、プロデューサーとしてスタートラインに立つことができました。
前例がないから、進むのが困難になるなら、私が前例をつくって次の人が当たり前に進めるようになればいいなと。でも私ができなかったら、次に進む人にとって悪い前例になってしまうので、覚悟をもって、若干強引にでもスタートを切りました。
プロデューサーとして
念願だったプロデューサーという立場になってみて、やはりこの仕事は面白いと再確認しました。PMの時の方がやりたい放題できていた気がしますが、責任が大きくなる分さらに仕事に対しての愛着が増しました。予算のことなど「困ったなあ」ということも多くありますが、まずはなんでも前向きに検討してみることにしています。プロデューサーが困った顔をしていれば、みんなが不安になってしまう。なるべくどんと構えて、昔憧れていたような頼れるプロデューサーでありたいと思っています。
メディア環境の変化によって、プロデューサーにもクリエイティブアイディアを求められることが増え、よりやりがいを感じています。
また、クライアントさんと直でのお仕事で、一緒になって商品ブランディングなどを開発していく楽しさもあります。商品がどうすればよりよく見えるのか、検証を重ねるごとに商品自体への愛着が増してきて、「愛おしい!」「よく見せたい!」と熱がこもります。
プロデューサーにとって大切なのは、アイディアに対して隙間を埋めていってリアリティを出すことだと思っています。
また、ディレクターの人選は大事にしています。企画をどう着地させるか、そこを握るのはディレクター。どんな方がいるのか、情報収集は欠かしません。もともと映画が好きで学生時代に自主制作をしていたくらいなので、CM監督だけではなく映画の監督にも注目しています。憧れの山下敦弘監督に依頼できたときは、この業界でがんばってきてよかったと思いました。
そもそも、尊敬できる人たちと一緒に一つのものをつくる喜びこそ、制作の醍醐味です。一緒にお仕事をしてみたい人を蓄積することも、この仕事では大きな糧となると感じています。
今後やってみたいのは、ストーリー性のある大きい規模の作品です。GINZA SIXのオープニング映像とか、“何かが始まるワクワク感”。「こんな映像つくりたいな」と思いました。
プロデューサーとしてはやっとスタートラインに立ったばかりなので、ここから少しずつ前進して人の心を動かせるような映像をつくっていけたらと思っています。
岡澤のり子(おかざわのりこ)
1983年 北海道生まれ
2006年 多摩美術大学卒業。プロダクションマネージャーに。
2013年 出産
2015年 プロデューサーになる