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Vol.7

選曲家/音楽プロデューサー
冨永 恵介

あの人のノート、いったい何が書かれているのだろう? 世を騒がせるクリエイターの思考法をのぞき見したい。昨年のACC賞では、「日本マクドナルド/ティロリミックス」でリミックス賞や音楽賞を獲得するなど、多くの賞を受賞。また、先に開催されたADFEST 2024では自身が代表を務める音楽制作会社piano inc.が「Production Company of the Year」も獲得! 斬新なマッシュアップの妙手、冨永恵介さんに本誌編集長の安達が話を聞きました。

プレイリストに残るのは
1%の発明がある音楽

子どものころから選曲大好き!
音楽とともにあった学生時代

―今にいたるルーツを教えてください。どんな子どもだったんですか?

まずは、小学校の音楽の授業で聞いたクラシックが刺さりました。「アガる!かっこいい!」と。それで家にあったクラシックのCDを聴くようになり、すっかりハマったんですよね。チャイコフスキーを聴きながら夕飯を食べたりして。
今の仕事につながっているなぁと思うのは、小5のときの学芸会のお芝居の役決めのときに「僕は選曲係をやる」と立候補したことです。体育館の舞台の上の方に放送ブースがあって、そこで劇に合わせた音楽をリアルタイムで流す役。プロットを見ながら、「このシーンはモーツァルトのホルン協奏曲だ」「このシーンはビゼーのファランドールだ」などと当てていきました。

―もうすでに、今の仕事ですね。

僕らの世代は、カセットテープに好きな曲をダビングして“マイベスト”をつくったものですよね。まさにその感じで芝居のために選曲して編集しました。ただ、自分にも芝居で出演するシーンがあったので、その間はクラスメートに音楽をかけるのを代わってもらったんです。「このシーンのここで絶対これだからね!あとはこのメモ通りに順番通りにかければいいだけだから!」と指示をして。でも、そんなの普通の小学生にはわからない。クラスメートは本番でシーンと曲を間違ってかけてしまって、それがものすごいショックで。「このシーンにベートーヴェンとかありえないから!」と詰め寄ってしまった(笑)。今考えるとその子には申し訳ないんですけど、でも自分の中には物語に対する、音楽アプローチの明確なビジョンがあったんです。なんでかわからないんですけどね。それでこれは人任せにしたらいけない、と。

中学校では吹奏楽部に入り、サックスをやっていました。けれど途中で幽霊部員化して、放送部に入り浸りに。放送室にあるミキサーとか編集機とかが使い放題でもう夢中になってしまって、気づいたらすごく長い時間、放送室にこもっていることも多かった。友だちと番組をつくって昼の放送で流したり、企画や選曲、ミキシングなどを楽しんでいました。
高校では高校二年〜三年生の時にオーストラリアに留学していたのですが、最初は英語がうまく話せずとても孤独だったんです。そこでギターを日本から送ってもらって、音楽室で弾いてたらあっという間に友だちができました。バンドにも入ったり。「音楽ありがたい!」と感じましたね。

―クラシックからギターやバンドの方へはいつ広がっていったんですか。

クラシックが好きだった頃も、ザ・ベストテンとか歌番組はよく見ていて、普通に流行りの歌謡曲を「いいメロディーだな」とか思って聴いていました。小学校の担任の先生がフォークギターを弾いてみんなと歌うのが好きな方で、その影響で自分もギターを習っていたのですが、中学に入ってわりとすぐ洋楽にはまって、ロックとかメタルの方に行きました。その影響でどんどんエレキギターとかバンドの方へと。

大学は日芸(日本大学芸術学部)の写真学科に進みました。僕の世代はちょうどフィルムの終わりの頃で、現像とかプリントとかアナログの写真の勉強ができたことは、今の映像の仕事にもつながるところがあり、とてもよい経験だったと思っています。そして大学時代はDJカルチャーの洗礼を浴びまくりました。国内外さまざまなDJイベントやフェスに通ったり、自分でもDJをやったり、イベントオーガナイズにも取り組んでいました。DJは自分がそれまで認識していた音楽やライブとは全然違って、選曲家であり、エディター的、キュレーター的なのに、ステージに立って、ぐいぐい人の心に触れてくる、未知の音楽の楽しみ方、ダンスカルチャーそのものに大きな衝撃を受けて、自分のなかでは革命の連続でした。

―どの時期にも今の仕事につながる要素が満載!

毎月CD何十枚と聴いて
“選んで取り込む”ノート

―最初はタワーレコードで働いていたとお聞きしました。

大学卒業後は、タワーレコードのアルバイトからはじめました。自分の得意な音楽にはかなり偏りがあったので、世の中で売れている音楽やトレンドを知る機会にもなりました。受注したり、商品ポップを書いたりと、仕事を通じていろいろな音楽知識や経験を積ませてもらって。そのうち販売員ではなく、実際に制作する側に行ってみたいなと、CM音楽の制作会社の門を叩きました。

入ってすぐの頃は、それまで積み重ねてきた音楽知識にそれなりに自信があったのですが、そう簡単には役立てられませんでした。自分はどんなジャンルでもディグ(※レコードを掘り出す)できると信じ込んでいたんですけど、ずれてましたね。人に聞いてもらうためにはどうすればいいか、相手の気持ちを汲み取るにはどうすればいいか、自分にはできるはず、と思い込んでいましたが、それまでと全く違う意識で取り組む必要があることすら、最初は理解できなかったというか。
そこで、音楽の知識をもっと得ようと古巣のタワーレコードに通ったんです。渋谷店の最上階のクラシックフロアからスタートしてワンフロアずつ降りていきながら、片っ端から試聴機で聴いていって、気になったCDを一度に何十枚も買う。それを月1回、多いときは数回、何年も続けましたかね。毎回大量のCDを抱えて帰って、一枚ずつビニールをはがして、パソコンに入れて1曲ずつ聴いていく。その中から厳選して取り込んで、と今考えるとえらい手間です。
今はサブスク配信、という極めて便利な世の中で、音楽リスニングの即時性のありがたさを享受しています。みなさんと同じように、Apple Music、Spotify、YouTube, Shazamなどから多くの音楽情報を得る毎日です、音楽リスニングはある種、受動的ですらありますよね、もはや。プレイリストやAIに提示されたものを「じゃあそれ聴いてみようか」と。そこで奇を衒う必要もなく、トレンドや平均値を俯瞰するための便利なツールとして大いに活用しています。

聴覚だけではない
五感のすべてがアイデアの源

ただ、手間から解放された時間をどう使うか。選曲の作業自体は今やどこでもできてすごくラクになったんですけど、音楽企画をたてるには情報だけでなく、想像力と、五感を研ぎ澄ませていく必要があるというか。
以前、佐藤可士和さんが番組でインタビュアーから「泉のように湧き出るアイデアも、いつかは枯渇してしまわないですか」と聞かれたときに、「美味しいものを食べていれば枯渇しない、大丈夫。」ということを話されていた。なんておもしろい考え方、うまいこと言うな!と。それはたしかにそうだと思うんです。以前食べた創作フレンチ料理で「まさか!クレームブリュレ(甘味)とふきのとう(苦味)を組み合わせるなんて?!」という驚きがあって、味覚においても組み合わせの妙ってあるじゃないですか、「まさかこれとこれを合わせるなんて」というのは、デザインももちろん、音楽でもやっぱりそうなんです。「このリズムパターンとこのコード進行は合わせた人あまりいないだろう」「このフレーズをこのジャンルには普通当てないだろう」とか、組み合わせの妙やアイデアは 聴覚情報ではなく、五感全体で閃めいていくものではないか。別に創作フレンチばかり食べているわけではなく(笑)。刺身にわさび、スイカに塩、とか、組み合わせの気づきは日常にもたくさんあります。

―音楽、グルメのほかのインプットはなにかありますか?

旅をして美しい風景に出会うとか。写真で見るのと、現地に行くのでは、まったく違う経験です。学生時代から旅や海外のフェスが大好きで、多くの旅から得てきた視野や知見は自分の血肉になっていると感じます。
あと五感でいうと触覚……僕は釣りが大好きなのですが、好きが高じて釣り竿の手づくりにハマってまして。竹と絹糸と漆でつくる「和竿」という文化がありまして、江戸時代から今も伝統工芸士たちの手作業によって続く、すばらしく粋で、実用的な道具文化です。竹のかたちや微妙な強度を選んで組み合わせたり、切ったり、塗ったり、ヤスリをかけたりという、0.0何ミリの作業が非常に楽しくて。当たり前ですがコマンド+zが効かないシビアな手仕事の世界で、削りすぎてしまったらもうおしまいという。これを始めてから、つくる音楽のディテールもより丁寧になったように感じます。

冨永さん制作の「和竿」

―感覚が研ぎ澄まされる。

はい。PCから得る情報ばかりだとどうしても偏るように感じるし、頭の中がキャッシュでいっぱいになってしまう感じ。伝統工芸士の技や、彼らの言葉に触れると、ものづくりの本質をまったく別の観点でながめることができて、新鮮です。「やすりをあと3回だけ」とか、そういう手触り。コロナ禍で始めた趣味ですが、ものづくりの力や楽しさを改めて実感して、身になっているなと感じます。あとは普通に気になった映画を観たり、読書したり。

―タワレコでCDを買っていたときのことも役立っているんですかね。

はい。膨れ上がった玉石混合のコレクションから、CDもレコードも随分たくさん処分しましたし、今考えると「なぜこのニッチな部分にあんなに熱中していたのか?」と、すごく遠回りしたという思いもあるんですけど。それらは今の自分の中で必要な雑味とか何かになっている、とも感じます。