Vol.8
TeTo/アートディレクター、クリエーティブディレクター
塚本 哲也
あの人のノート、いったい何が書かれているのだろう? 世を騒がせるクリエイターの思考法をのぞき見したい。日本コカ・コーラや東京都交通局などビッグネームを数々手掛け、カンヌライオンズゴールド、アドフェストグランプリ、ACC賞グランプリなど受賞も多数。最近、電通から独立し「株式会社TeTo」を立ち上げたアートディレクター、クリエーティブディレクターの塚本哲也さんに、昨年まで同じ会社の2年後輩かつ職種も同じだった本誌編集長の安達が話を聞きました。
とにかく聞いて書きまくる!
メモ魔の仕事の広げ方
クラスメート(のちの漫画家)に触発されて
―子ども時代のことを教えてください。
実家は千葉の田舎の、由緒ある神社の氏子でした。物心ついたときから絵はずっと描いていて、本格的に美術を学ぼうと考えたのは14歳の時。クラスメートに岩岡ヒサエさんというのちの漫画家がいたんですよ。彼女のスケッチブックを見て、あまりのすごさに『ルックバック』のワンシーンのように衝撃を受けて。「こんなことが自分にもできたなら」と思ったんですね。
―仲がよかったんですか?
同じ陸上部でしたが、どう話しかけていいかわからなかった。僕は短距離で全国とか行っていたんですよ。彼女は長距離。「どうやって描いてるの」なんてとてもじゃないけど聞けなかったな。それまで自分は陸上、サッカー、空手と体力系で生きてきたのだけど、彼女によって急に意識が変わったんです。美大に行こうと。
―僕なんかも田舎で育って、何もないから漫画みたいな絵を描くことで自己欲求を満たしていたんです。塚本さんは漫画じゃなくて、美大と思ったんですね。
僕もそんな感じです。漫画は途中で飽きちゃって書けなくなるので。落書き程度のものですけど、Gペンやアクリル絵の具を買ったりしだしましたね。
ちなみに学校はすごく荒れていて、ヤンキーだらけで、40人中10人くらいしか席に着いていなかった。その真面目なほうに僕も彼女も入っていました。
現代美術から、広告へ
―広告業界に入ろうという気持ちはいつからあったんですか?
大学でそんな気はまったくなかったんです。現代美術をやっていて、「アート・バーゼル」などに写真やパフォーマンスといった作品を出していました。ただ、卒業するときになって経済とデザインとアートの中間みたいなことに関わりたいと思ったんです。社会に影響を与える仕事がしたかった。電通を受けてみたら、受かったので必然的に広告の道に。
―その思考で電通に入ったら、「あれ?」となりませんか。
1~2年かなりつらかったです。大学のほうが“デザイン”の概念が広かったんですよね。あらゆるメディアを使うような、最先端のほうにいたんです。いろいろな実験が繰り広げられていた。それが、電通に入ったとたん「新聞5段」とか言われて、ちょっと待ってよと(笑)。メディアが広がる勉強をしていたのに、急に紙メディアに押し込められて。
メモ魔の、整理魔
―いつも使っているノートを見せてください。
メモ魔です。オリエンの時なんかずっとメモをとっているので、「話聞いてんの」って言われるくらい。
あとは、仕事の前に開発部の方などにインタビューをすることが多いんですね。いろいろなところから話を聞くので、1案件でワンホルダーできるほど書きまくります。「Noteshelf 」というアプリで、iPadに手書きできる。もとは紙にやっていたことを、このアプリに変えたというだけです。このアプリ、メモ帳以上のことはできないのがいいんですよね。紙に近くてほどよい。
手書きのほうが、パソコンで文字で書くより見やすいです。脳の整理をしながら書いているので、筆圧とか、マーカーされているとか、フォーカスがあるんです。絵も描けるし、表も書けるし。
―アウトプットも手描きですか。
そうです、手描きでデッサンして。一度描くことで自分の中にインストールする感じです。ぐしゃぐしゃに描いてるように見えて、自分の中ではちゃんとあとで見返せるよう整頓しています。
人に見せるのは清書したもので、このメモは脳内なので人とは共有しません。そして仕事が終われば捨てます。ここで整理して考えるためのものなので、作業に使い終わったらもう捨てちゃう。
―めちゃくちゃ美しいノートです……!整理上手はいつからですか?
生まれつきかな……。パソコンもスマホもトップ画面にはほぼ何もない。メールも仕事ごとにメールボックスを設けて終わったらどんどん消すし、机にも何も出ていないです。整理魔なんでしょうね。
―えっ、スマホのトップ画面、1ページだけですか。
一目で見渡したいから。「Noteshelf」も一回で見られるのがいいんです。仕事ごとに振り分けて。今16フォルダありますね。うちCD案件が3分の1、AD案件が3分の2くらい。