Vol.15
テレビはもっと自由であっていい、根底からから覆したい
―「ジャンベさん」(『シロツメクサ』の回のアナロジー)*2 に代表されるような、普通はテレビがネタにしないようなギリギリの政治ネタまでもが放り込まれています。このスレスレ具合が、本当にすごい。
竹村:番組でどこからが言ってはいけないラインかというのは、本来ないんですよ。勝手にみんなが自主規制で縮こまっているところがある。それを破りたかったというわけではないのですが、ラッキーなのは「これは説明のためです」と言える番組だったことです。(社会を風刺するためでなく)植物の生存戦略を説明する道具として、「ジャンベさん」や「北朝鮮(マスゲーム)」を使っている、と。実際わかりやすかった。
―ネットもザワついていましたね。特にジャンベさんの回は。
竹村:私が一番イヤなのは無関心なんです。「賛否両論」はすばらしい。「賛」が多すぎるのも気持ち悪いんですよね、全員が絶賛するコンテンツなんてあまりおもしろくありません。いろいろ騒がれる予想はしていたので、見てくれて反応があるというのはとてもうれしかったです。
―『植物に学ぶ』が破壊的におもしろいのは、今までテレビ番組が積み上げてきたルールや方法論が、全部ぶっ壊されていると感じるからではないかと感じます。そういう意識はありますか。
竹村:メチャクチャあります。いま “テレビ番組はこういうものである”という型が、つくる側でなんとなく決まってしまっているんですよ。別に誰にも何も言われていないのに、MCがいて、ワイプがあって、テロップが出てといった様式がある。正直なところ飽きてしまって、根底から覆したいというのはありました。もっとテレビは自由でよかったんじゃなかったか、と。
あれもつけて、これもつけてと飾り立てるのは不安の裏返しだと思うんです。どれもが保険。それを全部引いていくという引き算の作業をしました。『植物に学ぶ』に限らず自分が企画するものは、積み上げて来られた既成概念を“フリ”にすることが多い。
―Netflixがおもしろい番組をつくり、YouTubeで誰もが発信している中で、テレビはどうやって生き残るのか。いまこの状況で、『植物に学ぶ』はすごく刺激的でした。“テレビの生存戦略”のひとつの形なのではないか、とさえ感じます。
竹村:僕がテレビに憧れていた時代より、今のテレビの方が“既製品”に近い感じがします。おいしいし、安心もできるけど、昔の方が危なっかしくてハラハラしていて、そこに惹かれていた。もっと自由だったころのテレビを取り戻したいし、それがテレビの可能性を広げるのでは。テレビはもっと遊んでいいという意識を持つことが、テレビの生存戦略になるかもしれないですね。
よく「テレビ離れ」と言われるけれど、たしかに受像機としてのテレビからは離れているでしょうけど、スマホやネットで見ている人はいなくなってはいない。時代の流れなので、あまり僕らがそこを考えるより、おもしろいものをつくれば見てもらえるだろうと思うんです。何で見られようが、おもしろいものをつくるしかないじゃん、と。自分のやりたいことに一番適したメディアでやればいい。
―そういう中で、最近特にEテレでおもしろいものをよく見かけるようになっています。Eテレの可能性は感じていますか?
竹村:Eテレがテレビの可能性を広げてくれている。“未来のテレビ”という感じがしています。民放と違うのは、“教育的”であるかどうかということ。企画の立脚点が全然違うので、違うものが生まれるというのは当然あります。あとは10分枠というのがとてもよくて。たとえば30分枠、1時間枠となるとより万人受けにしなくてはならない。10分はワンコンセプトでつくれるので、より“専門店”にしやすいんです。民放が大規模ショッピングモールだとしたら、Eテレは個人商店。今後は個人商店がにぎわってくる時代になるといいな。
*2 『シロツメクサ』の回では、“とてつもなく偉い人”ジャンベさん(仮名)がパネルで登場し、“えらくない人々”を仲間に取り込みながら帝国をつくり上げていく(時にはズルをする)と生態をなぞらえた。当時の安倍政権を揶揄か、とネットで話題に。
専門外の人がやるからおもしろい。「テレビ つくりませんか」
―竹村さんから見て最近のCMをどう感じますか。
竹村:僕は広告代理店出身なので、ベースは広告なんです。ただ、この間ショックなことがありまして…。8歳の娘とテレビを見ていたら、いいところでCMに移った途端に舌打ちをしたんですよ。娘の人生初の舌打ちはCMに行った時だったんです。これって非常によくないなと思いました。見ている側に舌打ちさせるのは、どちらのためにもなっていない。広告自体のクリエイティブは関係なくて、“いいところでCMに行く”という手法自体に疑問を持った方がいい。
―竹村さんが影響を受けたクリエイターは、どなたですか。
竹村:大貫卓也さんのクリエイションが大好き。大貫さんのようになりたくて広告代理店に入りました。としまえんの『プール冷えてます』を見たときの衝撃は今でも覚えています。多弁なテレビと真逆の、切れ味とユーモア。番組をつくるときに大貫さんの感覚を入れるよう心しています。
―そこからどうやって、放送作家への道に舵を切ったんですか。
竹村:最初になりたいと考えていたのが放送作家でした。フジテレビの深夜枠を見て、こういうものをつくりたいと思っていました。でもメインは、ゴールデンで芸人さんがワーッと出てきて、というものでした。ああいうのが苦手で。それと同時に、選ばれた人しかつくることができません。あきらめたところで広告に出会って代理店に入ったのですが、そこである放送作家の方から「やりたいなら放送作家にしてあげるよ」と言われたんですね。広告の仕事も楽しかったのですが、若気の至りで夢だった方をとりました。
ただ、つくりたかったあの頃のフジテレビ深夜番組群は、あの頃のフジテレビにしかないということに気づいて絶望しましたね。だからあの頃のテレビに戻したくて、いろいろやっています。『植物に学ぶ』もそうなんです。アカデミックで、大人の教養で遊んでいる感じが好きだったのに、いつの間にかテレビから教養がなくなってしまいましたね、ここ20年ずっと。少しずつ知的な要素を取り戻したい気持ちがあります。
―将来を担う若手の広告クリエイターに向けて、メッセージをお願いします。
竹村:「テレビ つくりませんか」です。もう、テレビマンがテレビつくって、広告マンが広告つくっての時代じゃないと思うんです。YouTubeはすべてのクリエイターの主戦場じゃないですか、こちらも縦割りでやっている場合ではない。同じクリエイターがつくっていても先細りですよ。広告マンがテレビをつくればいいし、クリエイターシャッフルの時代になったらいいと思います。違うメディアでつくった経験は、自分のジャンルに還元もできるじゃないですか。専門外の人がつくるからおもしろいのであって、違うことを恐れない。そして、賛否両論を恐れないことだと思います。「否」に対するアレルギーが大きすぎて、縮こまっちゃっている。これを言えるのは、僕が無責任な放送作家だからですけど。無責任なりの叫びです。
今年に入ってから、若いディレクター数名から相談を受けるようになりました。共通しているのが、みんな「テレビはこうあるべき」に対してうっぷんを溜めているということ。20代のテレビマンはみんな既成概念をぶっ壊したがっていて、僕からすると20年越しに同志が現れたという感じです。「待ってたよ!」と言ったんですけど。
クリエイターはみんな新しいことをやりたいんですよ。選ぶのは、編成です。テレビが変わったのだとしたら、実は編成が変わったということだと思います。
―編成や局のシステマチックなものとの闘い方ってあるんですか。
荻野:Eテレは柔軟ですよ。だから『植物に学ぶ』もEテレに提案しました。最初のタイトルは『アダルト植物学』だったのですが、それでも若手の編成がおもしろがってくれた。当時の編集長も「おもしろい」と。Eテレは本屋でいうと、硬軟取り混ぜた専門書が並ぶコーナーなので、こんな番組があってもいい、と認めてもらいやすい。
竹村:Eテレはテレビ最後の希望ですよ。
―最後に、嫉妬しているコンテンツがあれば教えてください。
竹村:藤井亮さんのつくった『TAROMAN』*3 です。藤井さんは広告をやっていたころからの大ファン。おもしろくて、嫉妬しかないですね。『TAROMAN』も、つくったのがテレビマンじゃないところが大きい。新しいテレビは、テレビマンから生まれないのかもしれません。
*3 『TAROMAN』は、岡本太郎展(大阪中之島美術館)告知のためにNHK大阪が制作した1話5分全10話のシリーズ番組。Eテレの深夜枠で放映された。
竹村武司(たけむら たけし)
1978年浅草生まれ。01年に立教大学卒業後、広告代理店を経て、放送作家の道へ。『山田孝之の東京都北区赤羽』『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京)など山田孝之の出演作品や、『サ道』(テレビ東京)、『キッチン戦隊クックルン』(NHK)、『がんばれ!TEAM NACS』(WOWOW)など手掛ける作品多数。2022年は『義経のスマホ』(NHK)、『警視庁考察一課』(テレビ東京)、『アイラブみー』(NHK)などの脚本、舞台『Look at Me』の構成を手掛ける。