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Vol.18

心はどこから来ている?

―編集・執筆されたブルーバックスも「心の病」と題されていますが、そもそも心や意識はどこから来ているんですか。

それは結論が出ていなくて、世界中で論争の真っ最中ですね。イギリスの科学ジャーナル『Nature』にも“すごいケンカが起きている”という記事が出ています。統合情報理論*2が世間でメインの仮説となっていましたが、それに対して「そのように主張するには証拠が足りない!」と対抗勢がものすごい勢いで反論している。
私自身は、どちらの仮説も興味深いけど、人間でこれらの仮説を証明することは出来ないと思うのです。「証明できないものは考えない」というスタンスの科学者です。

―たしかに本の中では、仮説は証明されていないようですね。
では、人間の自意識に近いものは、動物でいうとどのあたりから持っているのでしょう?例えばイルカやクジラを食べるために殺してはいけない、というのはヒトに近いからなのでしょうか?

社会のルールでは、霊長類以上は、実験で苦痛を伴うものはだめと言われています。ネズミでも苦痛を伴う実験は極力回避しなくてはいけない。動物実験の倫理委員会を通して、その実験が必須、つまりその実験でなければ解明できないという根拠を述べなくてはならない。でも、それはそうすべきですよね。ネズミの命が軽いとか、必要もないのに苦痛を与えて良いとは私は思いません。

―霊長類には、人間に似た自意識があるのでしょうか。「自分がこんなことされているんだ」とわかるメタ認知のようなことが。

自意識はわかりませんが、この脳神経科学研究センターにいる宮本健太郎先生は、マカクザルを使ってどれだけ自分の判断に自信があるかを測る実験をしています。サルにも「これ、おれ自信あるわ」という明確な感情があるかという実験。自信とかメタ認知という測定可能な尺度から、意識も解明できるかもしれませんね。

「意識がどこから来るか」を「主体感」という言葉に置き換えれば、それはネズミにもある。「自分がこれを感じているんだ」と思うことですね。
ネズミに、自らのしっぽが見えない状態で、でもしっぽにそっくりなゴム製のしっぽをつくり、ネズミが見えるようにして置き、本当のしっぽと、偽物のしっぽを同時に撫でるということを繰り返します。その後に、偽物のしっぽだけを強くひっぱると、ネズミはビクッとします。自分のしっぽが強く引っ張られたと錯覚するのです。対照実験として、自分のしっぽと偽物のしっぽを同時に撫でず、バラバラに撫でると、このような錯覚は生じません。つまり、自分のしっぽが撫でられているという触覚と、自分のしっぽが撫でられている(実際には偽物のしっぽ)という視覚情報が統合し、偽物のしっぽまで自分の体の一部だという主体感の拡張がおこるわけですね。

人間にも似た実験があって、ゴムの手を自分の手かのような位置でテーブル上に置くんです。そしてゴムの手を刺激するのを見せながら、実際の手も同じように刺激する。その後ゴムの手にグサッとフォークを刺すと、自分の手は痛くないはずなのに「痛い!」となる。そういう認知的な実験があるんです。脳はだまされやすいんですよ。

—アリとかハチの脳を研究している人もいますね。“超個体”といわれている動物にも意識があるのか。ひとつひとつの個体には意識の宿るほどの複雑さがないはずなのに、なぜか集団行動が成り立っています。

コレクティブ・インテリジェンス、おもしろい分野ですよね。例えばアリが自分を犠牲にして橋をつくる。自分が足場になってつながって仲間を渡らせる。アリにそんな尊い自己犠牲があるとはとても思えないけれど、種としてそういう最適解をとっている。すごいですよね。どうして「おれは橋でいいや」と思うのか不思議です。アリの雄は半倍数性だから、自分の子よりも、自分の姉妹の方が血縁度が高く、その結果、集団のために犠牲になった方がより自分と近い遺伝子を残せるということだと言われています。でも、そんなことをアリが理解しているわけないでしょうから、なんでそのような利他的な行動をとるのか不思議ですね。

*2) 統合情報理論:「ある身体システムは、情報を単一に統合する能力があれば、意識がある」。情報を統合する際、脳が複雑な仕組みを用いて処理しようとするプロセスで必要な機能として意識は生まれる、とする仮説。『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』(Mマッツィミーニ&Gトノーニ,亜紀書房,2015)

AI開発の発想には、脳のメカニズムが有効

―未来に期待されている強いAI、汎用AIの実現に、脳科学という学問が果たせることはなんでしょう。

脳はとても効率的な組織です。脳が行なう計算処理をコンピュータにさせたら何万倍ものエネルギーを要する。人間の脳はなぜこんなにも超並列処理な、高度なことができるのかを見出して、AIに外装していくというのが一つの方向性ですね。ニューロモルフィックAIなどは、そういうことです。
機械学習が流行っていますが、これは小脳と同じような機能を用いています。神経細胞の入力層、中間層、出力層があって、という研究を進めたのは日本の神経科学の祖と言われる伊藤正男先生*3。此処、脳神経科学研究センターの前身、脳科学総合研究センターをつくった方です。脳の機能の解明がAIに英知をもたらしている部分はあるんですよ。

―『マイノリティ・リポート』というSF映画で主人公のトム・クルーズだけに向けられた広告が飛び込んでくるシーンがあります。その人の名前まで呼んで表示される究極のターゲティング広告をするんですよね。

今もそうなっていませんか?
ちょっと買い物をすると、そればかりネット上に出てくる。

―そこに脳科学が活かされていないのかも…。結果的に脳が嫌がるような広告ばかりになっていませんか。脳科学をうまくコネクトして脳にとって心地よいものにできないのかなと思うのですが。

自分のビッグデータを入れたカスタムAIをつくれば楽勝そうだけど。そういうことをしようとしている人いますよね。個人データをすべて入れて、自分の幸せの増強のためのパーソナルAIをつくるという試みですね。AIが「体重が増えたから運動しましょう」「この間飲みすぎたから今日は気を付けて」とか教えてくれるらしいですよ。

―パーソナルなエージェントを育てるというのは生成AIでも流行ってきているようですね。でもそうなると、さっきおっしゃっていた「食べたい」「いや、食べない方がいい」とバランスをとっていた前頭前野の仕事が、外部に移行することになる。その場合、脳に求められることも変わってくるのでしょうか。

人類がどうAIと付き合っていくかという課題ですね。まあ結局は、AIの言うことを材料のひとつとして、最終判断するのは自分の前頭前野です。なので、パーソナルAIをどうチューンし、上手に付き合うかというところが人間の技かもしれません。完全に正しいことを言うようにチューンするのか、いい感じにしてくださいとチューンするのか。

*3) 伊藤正男(1928~2018): 生理学者、医学博士。神経科学を専攻し、小脳研究の世界的権威。可塑性シナプス機構の存在を見出した。熊本大学、東京大学で教鞭を執ったのち理化学研究所に転じた。理化学研究所 脳神経科学研究センターの前身、脳科学総合研究センター初代所長。

広告も研究も創造活動、脳が溶けるまで考える

―広告の未来についてお伺いします。以前哲学者の方に、未来の広告はどうなるかとお聞きしたら、「脳に直接刺激を注入するタイプの広告が可能になるだろうから、間接的な広告表現は不要になるのでは」とおっしゃっていたのですが。

マッドですねえ。サブリミナル効果なんてまさにそうで、禁止されていますよね。効果的でしょうし、大統領選なんかで使ったら選挙の結果に結びつきますよね。実に危険。
科学的な知見をそこにもたらすとすれば、直接刺激を与えることがどんなメカニズムで、どんな効果を持つかを明確にしたうえで、ガイドラインを的確につくるということが正しい答えになるんでしょうね。

脳科学では、デクネフ(DecNef)という治療法がずいぶん前から研究されています。デコーディングとニューロフィードバック。例えば蛇が嫌いな人を、蛇が嫌いでなくなるようにする。自分の脳活動を自分で制御することによって、自分の思考を変えることも可能であると言われていますね。この技術でPTSD(心的外傷ストレス障害)が治せるかもしれないと期待されており、実用化できれば画期的です。

―これまでに好きだった広告、印象的だったCMなどはありますか?

魂が高揚するようなコマーシャルはずっと覚えています。子どものころに見た時任三郎のリゲイン(三共、現第一三共ヘルスケア)とか。「24時間、戦エマスカ。」って、日本が元気だったときの象徴ですよね。みんなリゲインを飲んでテスト前にがんばっていた。ひとつの広告の成功例なのでは。あれを間違って軍国主義などに使ったらダメなのでしょうけど、広告にはすごいパワーがあるなと思います。衝撃的でしたね。

―若手の広告クリエイターに向けてメッセージをお願いします。

独創的なことをやってください。研究もオリジナリティが大切です。世紀の大発見なんて独創じゃないですか。感性を研ぎ澄ませて、脳が溶けるまで考える。それが私たちクリエイターの仕事です。ハッキリ言って、創造というのは苦しみですから、楽しいものではないですよ。「大発見は常に孤独の中にある」と言った数学者もいましたね。究極的に感性を研ぎ澄ました中で発見は生まれるので、ドMな感じでがんばってください。

—先生が独創性を維持するために何かしていることはありますか?

いろんな人に「研究が独創的」と言われるんですが、自分で意識したことはないです。言われてみたらそうだな、と最近気づいたんです。ただ、私はリスクをリスクととらえていなくて、失敗してもいいやと思っているんですよ。論文ができなかったら困るけど、たとえクビになってもなんとかなるだろうと。それは多分自分の特性なんです。でも、どんな人でもなんとかなるので、好きなことをやればいいと思いますよ。私たち研究者も含め、クリエイターというのはそういうものであるべきだと。えらそうなことを言ってすみません。

—本日は、おもしろいお話をたくさんありがとうございました。

インタビュアー:丸山 顕
執筆協力:矢島 史
photo:遊馬 耕平

林(高木) 朗子(はやし(たかぎ) あきこ)
理化学研究所 脳神経科学研究センター 多階層精神疾患研究チーム チームリーダー
1999年群馬大学医学部を卒業し、同大学附属病院で精神科研修医として勤務。色々考えることがあり、2001年に同大学大学院へ入学。以降、理化学研究所(加藤忠史研)、Johns Hopkins大学(澤明研)、東京大学(河西春郎研)で研鑽を積み、2016年より研究室を主宰(2019年より現職)。満身創痍で七転八倒しながらも、研究はやはり楽しいものだと実感する日々。