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第三十回 広告ロックンローラーズ
ゲスト:タナカノリユキ

箭内: この連載、これで第30回目なんですけどね。タナカさんがこれまでのゲストと違うのは、僕が東京に来て、浪人時代に予備校の担任の先生だったという。確かタナカさんが東京藝大の学部4年か院に入ったばかりの頃だと思うんですけど、僕は絶対に藝大受かるって自分では思いこんでたのに、落ちたんですよね。そしたらほかの先生は「惜しかったなー」って慰めてくれたのに、タナカさんだけ笑って「とにかく先は長いぞ」って話をされて。で、その後10年、20年経つ中でその言葉の重みがね、じわじわと自分の中に広がってっいたというか。タナカノリユキのスゴさってそこにあると思うんです。いつも笑いながら鋭いこと言うじゃないですか。

タナカ:その話で少し補足すると、ちょうど学部の4年から大学院にかけて、自分も進路で迷ってたっていうのはあるんですよね。日比野(克彦)さんと僕はちょうど学年ひとつ違いなんですけど、当時、日比野さんが日本グラフィック展でグランプリを獲って。先輩後輩だけどお互いにいい意味でライバルというか、二人ともサッカー部ですごく仲もよかったし、一緒にグループ展をやったり僕もJACAのグランプリを獲って「藝大旋風」なんて言われてた頃で。
でも、卒業後を見据えるといろんな選択肢がありますよね。企業への推薦ももらってましたから、就職もありえたわけですけど、全部蹴ったんですよね。やっぱりフリーになろうと。藝大に行って就職したら負けだ、みたいな感じでね(笑)。そうやって自問自答していた時期だったから、落ちこんでいる箭内を見て、自身の覚悟も含めてたぶんそう言ったんだと思います。藝大入っても結局そのあとがあるから、と思って。いいのかな? 呼び捨てで。

箭内: いやいや、箭内でお願いします。「箭内くん」なんて呼ばれたら気持ち悪いじゃないですか(笑)。で、僕はそのあと博報堂に入ってからもタナカさんの活動に注目していて、タナカノリユキというアーティストが広告の世界に降臨する様を見たわけですよ。
六耀社から『タナカノリユキの仕事と周辺』(2000年)という作品集を出されるときも、事務所にお邪魔したんですけど、タナカさんはもうまったく寝ない。モノをつくったり、しゃべったりすればするほど元気になってくるので、これ、怪物だなと思って。「クリエイティブモンスター」って呼び方を考えたら、作品集の帯に採用してくださったりね。
それと同時に、アーティストとしてのタナカノリユキさんにアートの世界に戻ってきてほしいという声もすごくあって、なぜか僕んとこに苦情が来て(笑)。箭内さんから伝えてほしいって人から言われたので、あるとき事務所で「タナカさん、お願いですからそろそろ広告やめてもらえませんか」って言ったんです。そしたら「わかった」って言ってくれたけど「あと5年は許して」って。

タナカ:言いましたね。

箭内: そこから5年どころじゃないわけですよ(笑)。でも、タナカさんのものづくりの哲学というか、出来上がったものが圧倒的で、それが広告に喝を入れ続ける状況が続いていますから。広告の側からすると、あのときアートに戻らないでいただいてよかったという感じですし、アートであり広告でもあるクリエイティブを提示され続けているなと。こういうこと先輩に言うのも失礼ですけど、頭がいいですよね?

タナカ:いや、頭がいいというよりは、いつも自問しているっていうのかな。例えば、広告とアートはどこが違うのか。「広告とは何か?」とか「アートとは何か?」といった問いに、哲学的というのか自分なりに本質的な部分を考えたいところはあって。

箭内: なるほど。広告にとっての本質というのは?

タナカ:まずは、広告の本来の意味を理解すると言うか「広告」と「販促」って違うじゃないですか。広辞苑やWikipediaにも載ってることだから、あまりここで説明する話じゃないんですけど、いわゆる「広告」と「販促」というのは本来別物で、広告はブランドを生みだすものですよね。世の中に対してその物事の存在価値や存在意義を広く知らしめることによって、好きになってもらって、独自性や信頼感を醸成する。そういったコミュニケーションを持続することで社会とのエモーショナル・コネクションが生まれ、ブランドが形成され、ブランドイメージが向上していく。それは結構、コンセプチュアルな本質を探る行為でもあり、そういう点で広告の本来の考え方というか、アプローチの仕方がアートに似ているところがあるんです。ただ、日本だと、広告と販促が、渾然一体になっているところがあって。

箭内: よくわかります。

タナカ:もちろん、広告とアートは異なるものですが、広告はやっぱり社会の「光と影」で言うところの光りの部分だけを表わしていて、一方でアートは光だけでなく影の部分も照らし出していく、それがアートの役割だと思っているんですけど。

箭内: でも、なんていうんですかね? アートの世界でもタナカさんは光を探している気がしたし、広告の世界でも影も見ながら光を見てるというか。そういう意味では本質的に同じことやってるんだなって感じるし、広告を見張ってくれてるじゃないですけど、広告の価値をちゃんと保たせてくれている印象を受けてます。

タナカ:一歩引いて両極を見ている感覚もあるんですけどね。依頼側が本来の広告を求めてないケースもありますから。だから、なんでもかんでも仕事にしようとは思わなかった。それが結果的に良かったし、企業のオーナーが「あなたの考え方、興味深いね」って言ってくれて、広告本来の社会的役割を果たせる仕事に出会えたというのはあります。その点、恵まれていたというのはあって、ちょっと偉そうな言い方になるけど、選ぶ権利はないけど断る権利はある。そう思ってやってきました。ナチュラルボーンフリーランスって言ってるんですけど(笑)。エージェンシーとかに入ると、やりたくない仕事もやらなきゃいけないでしょ?

箭内: ですね。そういうのを断ってると居場所がなくなっていくというか。

タナカ:社会や人間の欲望と結びついて生まれる広告のダイナミズムと僕自身の資本主義への批評精神によって生まれるリアリティ…その対話がアートにも通じる面白いところなんですけどね。ファッションや広告って巨大な欲望の装置じゃないですか。それを通して「人間って何なんだろう?」ってことまで考えさせられるようなところもあって。