第三十二回 広告ロックンローラーズ
ゲスト:小山 薫堂

箭内: この広告ロックンローラーズというのは、60歳以上の方と15年ぐらい対談してる連載で。僕、始まったとき40代だったわけですけど。
小山: なるほど。初めてですか。同い年対談。
箭内: 初めてですね。2人とも還暦ですから。ここらで一旦やっとこうかなと。まず自分の話から先にすると、還暦になるときなんか無茶なことやんなきゃと思って、さいたまスーパーアリーナを2日間借りたんですよ(風とロック さいしょでさいごのスーパーアリーナ)。
小山: すごい。で、ライブ?
箭内: ええ、もうドキドキしちゃって。やってよかったと思うんですけどね。GLAYとかいろんな仲間たちがゲストに来てくれて。で、薫堂さんにもおうかがいすると、僕の記憶が確かであれば、去年の6月、還暦記念のイベントやってらっしゃいましたよね。
小山: やりましたね、2回。うちは会社で誕生日を祝うサプライズがあるので、そっちは僕、企画してないんですよ。でも、自分で企画したものもやりたかったし、「湯道」もやってますから。
箭内: お風呂の。
小山: そう、それで修善寺の「あさば」を貸し切って“還暦の大湯会”というのをやりました。12室しかないので12組しか呼べないんですけど。
箭内: それは無料で?
小山: はい、12組のともに湯につかりたいと思う人に声をかけて。オレンジ&パートナーズからのサプライズは、スタッフが「薫博」というのを企画してくれたんです。万博に携わってることもあって。
箭内: それ、何かで見ました。小山薫堂の60年が作品として展示されてるっていう。

小山: ええ、で、そのイベントのクライマックスがサプライズになっていて、ユーミンが僕の歌をつくって歌ってくれたんです。
箭内: うわ、すごいですね! でも、どうですか。還暦から1年たって次は61歳になりますけど。
小山: 50歳のときのほうが“人生のしおり”みたいな感じでしたね。60歳はね、響き的にはだんだんおじいちゃんに見られ始める気がするんですけど、自分の中ではそんなに変わってないから、それがちょっと嫌かな。
箭内: まあ“小山薫堂”っていう名前も、おじいちゃんに似合いますから(笑)。でも、もともと若さを売りにしていたわけじゃないじゃないですか。侘び寂びまではいかないでしょうけど、知性だったり品みたいなところで仕事をしてきた方だから、むしろ似合う年齢になってきたと思う。
小山: そう言ってもらえると、うれしいですけどね。
箭内: 70歳でも80歳でも大丈夫そうじゃないですか?
小山: いや、どうでしょう。でも、このあいだ本のタイトルを先に思いついて、いま準備してるんですけど『初老の作法』という本なんですね。初老って昔は40代くらいだったのが、いまは60代になっていると。池波正太郎さんに『男の作法』っていう本がありますけど、自分はこういうふうに年を重ねていきたいーーという願いを先に本にすれば、自分自身に何かを課す感じがしていいかなと思ったんです。箭内さんもそういうのありますか。こうやって年を重ねたい、みたいな。
箭内: いや、僕は小山薫堂さんに並ぼうというレベルではなくて、基本的には同じ昭和39年生まれの光と影だと思ってるんですよ(笑)。
小山: そんなことないでしょ?
箭内: いや、なんかのプレゼンのとき代理店の人から、この仕事、たぶん小山薫堂さんに決まると思うんですけど、箭内さん一応やってくれます? なんて言われて(笑)。
小山: いやいや、それはね、僕じゃないと思いますよ。
箭内: それ以来、ずっと小山薫堂に対する敗北感を無駄に感じてきて……。
小山: それは無駄すぎる(笑)。
箭内: だからね、小山薫堂的な何かに抗う方向でやっていくしかないというか、初老の作法にすっと入っていけない自分がいて。このタイトルの「広告ロックンローラーズ」だってそういうもんですから。それで思うのが、薫堂さんの動き方って全部正解でできてますよね?
小山: そんなことないですよ。
箭内: いや、何が言いたいかというと、僕が捉える小山薫堂は“ロマンチック”なんです。この世代の特徴なのかもしれないけど、自分もそこはわかる部分なので、何か共通点もあるはずだと思って調べていったら、松山千春さんに辿り着いたんですよ(笑)。
小山: はははは、あんまりそこ聞かれたくないんだけど(笑)。

箭内: 同い年以外は何の共通点もないはずの2人だったのに、松山千春好きでめっちゃつながった。僕も大好きで。中学3年のときに1人旅で足寄(北海道)まで行ったんですよ。千春さんの故郷。で、お父さんが「とかち新聞社」っていう地域新聞の会社を経営されてて。
小山: おお、松山明さん。僕も中学の頃、ファンレターを書いたら、お父さんからお手紙とサイン入り色紙が送られてきました。
箭内: 僕はお父さんとツーショット写真撮ってもらって帰ってきました(笑)。それで薫堂さんが、軽井沢のラジオで松山千春さんをお招きするための番組をやっていてーーというエピソードを知ったときにグッと来て。
小山: そうなんですよ。僕のコンプレックスは……うん、松山千春が好きだった(笑)。よく「オレ、ビートルズで育ったんだよね」とか言う人いるじゃないですか。それ、めっちゃカッコいいなと思うんですよ。小学生のとき、エマーソン・レイク・アンド・パーマーとかクイーンが好きな同級生がいて、その子の家に行くとお父さんがオーディオマニアなんですね。で、真空管アンプとJBLの巨大なスピーカーのセットでELPのレコードを聞くわけですけど、良さがわからなくて。で、中1くらいで松山さんの曲を聞いたとき、もう震えたわけですよ。
箭内: 「ふるさと」っていう概念を最初に教えてくれましたよね。
小山: でも、だんだん年をとるにつれ、松山さんのセンスと自分のセンスが乖離すると思う瞬間が増えてきて、いつの間にかちょっと恥ずかしいと思うようになりつつも、でも、やっぱり昔の曲を聴くといいなと。それでFM軽井沢からお話をいただいたときに、これは松山千春さんに会うための番組というコンセプトにしたんですね。で、「すべては恋から始まる」というタイトルで続けていたら、最終回の頃にたまたま松山さんが僕のふるさと天草(熊本県)でコンサートをやるというので、出かけて収録したんですけど。