次世代の表現の可能性を広げる
―グさんは様々な活動をされているのに、以前「やりたいことの3%しかやってない」とおっしゃっていましたね。今日は残りの97%をお聞きしたいんですが。
在日で生まれたから気づいたっていうのもあるでしょうけど、自分のために生きていたんですね、ずっと。でもその内、せめて自分のまわりの人が幸せでないと、自分が幸せになれないことに気づくわけです。すぐ隣に死にそうな人がいたら、絶対助けようとするんですよ、人って。まわりをちゃんと見れば、すごい問題がたくさんあって。例えば保育園や学童の環境とか、けっこう矛盾があったりする。学童で6時まで子どもを見てもらうんですけど、子どもは校庭で遊べないんですって。学童に入っているために。問題や事故があると困るっていうことで。子どもを守るためのルールが、訳の分からないルールになっている。
今度『いい加減な学習のススメ!』という本を出すんです(日刊大衆連載コラムの一環)。そりゃ、ルールはなければいけない。破る奴がいるから、最低限のルールは政治家先生が決めていただくんでいいんですけど。「まあまあ」って大目に見る心の余裕がないんだろうなって。それをできるのが僕たちでしょう。大人がちゃんと、「校庭で遊んで来い、俺が見ておくよ」って。ケガしたら親に説明しよう。責任はどこまで?神戸のような大事件になったら話は別。そこまでいくと、犯人が悪いのであって。だからそこは、蓋閉めるのと同じ行為ですよね。
あらかじめあらかじめって、どんどん蓋を閉めてしまうから。そこからも子どもたちの表現の広がる幅が制限されてしまう。子どもたちにはびっくりするようなもの作ってもらいたいじゃないですか。大人がびっくりするような、おもしろいものを。今の若い連中、おもしろいんですよ。天才なんじゃないかって思う奴いっぱいいますけど、出てこない、作れない。アイデアはおもしろいのに成果物にならない。もったいないなって。その実験を僕らの世代がやっておいて、「次をやって!」って言えるようにしたい。
僕ができることは、ルールの中ではなく、ルールの前の基本的なモラルのような部分です。暗黙のルールを壊そうとしたり、壊れた中でうまく生き抜くことだったり。それに気づくきっかけを作るのが表現で。それはコマーシャルであろうが、映画であろうが、小説だろうがマンガだろうが全部同じ。コマーシャルでおもしろい表現やって「あ、それって有りなんだ」って救われる人もいるわけじゃないですか。『グとハナはおともだち』は、そういうことを浮き彫りにしたい前段の実験なんです。
3%を4%にする
自分には才能なんかぜんぜん無いと思っていて、知識や、勉強したものがイイ加減に合成されて、「こんなんやってみたらどうかな」と思いつく程度なんです。そこがたまたま、CMとかで時代にハマったっていう…。『グとハナ』がウケたのは、ジジイと小さい女の子っていう、結局シンプルなところに引っかかるんですよね、人って。
テリー伊藤さんはやっぱり天才だと思うんですけど。『浅草橋ヤング洋品店』の時に、浮浪者のファッションショーとかやっていましたからね。あれに引っかかった人が大勢いて、その中の何人かが自分に振り返って、価値観として「有りなんだ」「無しなんだ」というぎりぎりのところに気づいた。『元気が出るテレビ』もそうなんです。その世代で勉強したんで、僕自身その流れになっちゃってるところはある。
ブラックとか、ナンセンスとかやりたいですね。それが残りの97%の中に入っています。昔の日本って、素晴らしいニヒリズムやシニカルさってあったのに。それが、すごく上っ面になってきたというか。いい人がいい人、みたいに。
―「いいね」つけておけばいいだろ、みたいなアレですよね。
この時代に悪役になりたい人はいないんで、僕とか悪役になりやすい。人相悪いんで(笑)。悪役になれるというのは、それはそれで、そういう風に産んでくれた両親に感謝しなければ。
でもまぁ僕も54になったし、あと10年はムリかなって焦りまくってます(笑)。1%くらいは上げて4%くらいにはしたいですね(再笑)。
―「メディアをやりたい」ともおっしゃってますが、「やりたい」の意味を教えてください。
どうしてもコマーシャルの場合、商品が一番手前あるように見えないといけない。「私脱いでもすごいんです」って「有りですか、それが」っていうのは、潜在的に心に沁みている。有りなんだ、その価値観っていう風に。それが番組だと『元気が出るテレビ』じゃないですけど、逆もイケる。こういう世の中におもしろい価値観、生活があって、その裏にこんな商品がありますよ、っていうのができる。
でも実際にはテレビ番組やCMって、作り方がそうなっていない。ただスポンサーになっているだけで。心がリンクしない。消費活動とか物欲とか、知識を全部含めて、人間の欲を、今の表現なり、番組、サービスコンテンツが一直線的にそこに向かっているかというと、バラバラになってる。それをメディアで試してみたいなと。
視聴率とかすぐ結果が出るし、いろんな操作性があるので、「メディアよこせ!」って、30代の頃からずっと言ってる。
コマーシャルやりたいんですよ。WEBが出てきて、コマーシャルの役目が手探り状態じゃないですか。たぶん、それでもあと2~3年で自然淘汰が起こるんでしょうね。メディア、コンテンツ、デベロッパーサービス、キュレーションも全部含めて。今のスマホが、スマホである理由がなくなってくる。いろんなデバイスがこのままずっと団子状態で追いつかないまま流れていくのか。広告の定義が存在しないかもしれませんね、これからは。今まではテレビっていう奥の手があって、効果があったんですが。もうなくなっていて、作れないのかもしれないな。
何かやりたいんですよね、ホントにメディアやりたいんですが、企画がなかなか通らないです(苦笑)。