箭内: 素敵な思い出として話してくれましたね。ところで藤井さんが受けようと思うのは、どんな仕事なんですか。
藤井: どうでしょう?受け入れる部分と戦う部分があるんですよね、いつも。僕自身だんだん変わってきていると思います。30代までは、自分が写真家として仕事ができるんだろうか?という気持ちもあったのが、徐々に自信が持て、仕事も安定してきて。
でも、引き受けたとき自信満々かと言うとそうでもなく、つねに迷いながら。まあ、"ある確信を持って迷える"ようになった、ということではあるんですけど、だからと言って「これが絶対正しい」「絶対に最短距離でここに行ける」ということでもないと思うんです。
箭内: 人も含めた風景というものへの畏敬の念というか、すべてが思い通りになることではない、という…。
藤井: たぶんそうですね。結局は「戦いながら受け入れる」ことが大切なんじゃないかな?台風が来たら来たで、やっぱり美しいものもあるじゃない?それを味方につけるということが大事なことで。人も同じですよね。満島さんも最初、台風みたいな感じでしたけど(笑)、お互いにちょっとでも認め合うところが出てくると共鳴していけるから。
箭内: それで藤井さんは、"空気を撮る人"って言われてるんでしょうね。それは確か深澤直人さんがおっしゃってたんですけど、客観的にその場を見る空気じゃなく、そうやって戦ったり、わかり合ったりを含む空気なんですよ、きっと。
藤井: それが面白いんでしょうね。
箭内: あと、今日うかがってみたかったのは、なんで藤井さんのところからは、面白い才能が巣立っていくんですか?瀧本幹也君や高柳悟君の師匠であったりするわけじゃないですか。そこらへんの秘密をうかがってみたいんですけど。
藤井: よく言われるんですね、「藤井さんのところ出た人、みんな活躍してますね」って。それは僕もうれしい。だけど、育てようと思って一緒に仕事しているわけではないんです。学校ではないからね(笑)。まあ、僕の仕事のやり方とか後ろ姿を見て、何かを学んでいるのかな?
よく怒るんですけどね。プロとして仕事を一緒にしているわけだから、「これをディレクターや世の中の人に見せるのは恥かしいよ」ということは教えますし、もう一回一緒にやり直すことはよくやります。
あと、そうだね。僕は「嘘をつかない」ということはやってると思う。アシスタントでも、だれでも。媚びて嘘をつくのは、自分自身が好きではないから。そういうところは彼らが一番近くで見ているんじゃないかと。教えているとすれば、そういうところだと思いますね。
箭内: みんななんか似てますよね?まず口数がそんなに多くない。口数が多くないということは、嘘をつかないことにもつながってるのかもしれないけど、もともとみんなそんな感じなんですか。それとも事務所で藤井さんの後ろ姿を見ているうちに、あんまりべらべらしゃべらなくなってくる?
藤井: ああ、そっちかもしれない。たとえばね、ディレクターに写真を見てもらうときに、僕らはやっぱり緊張しているわけですよ。「これ、気に入ってくれるかな?」って。いまだってそう。だけど、僕は説明はしない。黙って見てもらう。それで何かを聞かれたら答える、というやり方をずっとしてます。それもアシスタントは見てますからね。
僕もときどき若い人の写真を見ることがあるでしょう?そのとき写真家がね、自分の写真を口で説明するというのは、自慢をするか言い訳か、そのどっちかなんですよね。結局は写真が語るわけですから、写真家はよけいな説明なんてする必要はない。そのことはずっと思ってます。もちろん、聞かれたら答えるべきですど。
箭内: そこが、寡黙の強さですよね。確かに自信がないときほど、ああだこうだ説明しますものね。写真じゃなくて広告でも。自慢したいときも「これ、思いついたんです!」なんていろいろしゃべっちゃう。でも、答えはその中に全部あるんですものね。
藤井: うん、そういうことだと思います。
箭内: 藤井さん写真家になられて、もう50年ぐらいになります?
藤井: 今年、70歳になりましたから。20歳過ぎから一応プロの世界に入っているから、そろそろ50年ですね。
箭内: 50年間現役の藤井さんだからこそ感じる、現在の広告の印象をちょっとうかがいたいなあと思ったんですけど。広告のあり方やつくる人の個性なんかも変わってきてますか。
藤井: 広告に限らず、世の中が決していい方向には行ってない、ということは感じます。そういう世の中をつくってきたのは、ある種、自分たちの世代の責任でもあるんですけど。
たとえば、風景を見ていても、自然がつくった原風景と人がつくったものが混じり合う部分があって、写真家はそこを見るべきなんです。批評家として、あるいは目撃者として、人がつくったものが、どういうふうに環境になっているかを見るのが写真家の仕事でもあるんだけど、そういう意味では、決して美しいとは思わない風景が増えてきています。
箭内: 広告について言うとどうでしょう?
藤井: テクノロジーがどんどん変わっていきますよね。それは仕方がないことではありつつ、本当は大事にしなきゃならない部分まで失くしてしまっている気がして。
僕にとって、写真はフィルムで始まったことだから、モニターがあってすべて完成に近いものがその場で見られるいまの時代っていうのは、なんでしょう?写真家やディレクターの"ブラックボックス"の部分がなくなってきてますよね。そうなると、やっぱり表現が変わってくると思います。ディレクターや写真家の個性で、ものがつくられていた時代とは違い、表現がとても平均的でフラットなものになっている。ある意味では民主的と言えるかもしれませんが。
箭内: いま、おっしゃった話の中に、いくつかグサっとくる言葉がありました。ひとつは"ブラックボックス"がなくなったという話。ああ、そうだなあと思うと同時に、どれだけAIやスマホの撮影モードが進化しても、やっぱり制作者は機械にできないことをやれなきゃダメだし、秘密を持ってなきゃいけないんだなあと。
もうひとつは、写真家の仕事を「目撃者」であり「批評家」であるとおっしゃった部分。その視点が写真にあるからこそ、アートディレクターやクリエイティブディレクターたちは、みんな藤井さんにお願いしたいんだろうし、逆にその覚悟がなければひるむんだろうと感じました。
藤井: 僕たちの業界のこと、日本の社会のこと、地球のこと、宇宙のことーーという具合にどんどん広げて考えていくと、人間って、ある種ろくでもない生物かもしれないと思うことがやっぱり多いんですね。これだけ歴史を重ねても、いまだに戦争もなくならないし、何ひとつ歴史から学んでないんじゃないかと。それくらいいまの世の中、混沌としているでしょう?