
箭内: いいですね。薫堂さんの企画で、街にある一見ごくふつうのご飯屋さんを訪ねるシリーズあるじゃないですか。ああいうのもスポットの当て方だと思いますけど。
小山: 『ふくあじ』ですね。決して高級ではないけれど、心まで満腹で幸福になるおふくろのような味のお店を紹介する番組です。そういうお店って僕自身好きだし、そこに行ったらすごい誠実に働いているお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがいて応援したくなるんですよ。それで言うと応援したくなるものを番組にしているケースが多いですかね。
箭内: すごくよくわかります。僕も広告ってなんですかって言われると「自分が好きなものの応援」だというふうにずっと前から言ってますから。この流れでさらにうかがってみると、企画に対する向き合い方が年齢とともに変わってきてる部分もありますか。
小山: 20代とか30代前半までは、新しいものをつくることにすごく一生懸命だった気がするんです。だれも見たことがないものとか、人がやったことのないものをやってみたいと。でも、やっていくうちに、これってだれが幸せになってるんだろうなっていう思いがどんどん強くなってきましたね。
それが50くらいになったときから、またちょっと別のベクトルになって。ひとつは京都で仕事を始めたことがきっかけかもしれない。14年前に京都の料亭(下鴨茶寮)を引き受けて、月に2回行くようになると、京都の人たちの物差しの長さに気づかされたんです。つまり10年、20年じゃなく100年、200年の視野でものごとを考えている。
その後「人間国宝の肖像」という連載でも、いろんな分野の人間国宝の方にお目にかかったんですね。で、ある方に「作品が完成したとき、どんな気分なんですか」って聞いたんですよ。「僕だったら、映画が完成して封切りの日に劇場に行って、感動して泣いてるお客さんがいたりしたら、うれしいなと思うんですけど、先生はどうなんでしょう?」って。そしたら「200年後の人がこれを見たときにどうやってつくったんだろう?って思わせたいですよね」と。
そういう時間の物差しは、それまで僕の中にまったくなかったものだからすごく考えさせられたし、50を過ぎたらだんだん死も近づいてきて、自分がいなくなったときに何を残せるんだろう? と。そんなふうに考えるようになりました。
箭内: うん、僕もそうなんですけど、色んな制作者と話してても、お金をもらえることじゃなく残ることがやりたいって言う人は多いですね。あるカメラマンの人もCMのほうがはるかに収入がいいのに、もうCMは辞めて映画に行くと言っていたり。自分のやってることが残るものなのかどうかって言うと、ふと考えたときに怖くなるというか、寂しくなるというか。でも、広告も200年後になったらアートになってるかもしれないし。
小山: いや、全然アートだと思います。サヴィニャックとかも広告ですしね。
箭内: ロートレックや浮世絵だってそうですよね。ちょっと別のお話うかがいたいんですけど、万博の話、いま色々大変じゃないですか。世の中のイメージっていうのか。
小山: そうですね。とはいえ僕は、万博ってすごいと思うんです。いま、この時代に戦争が実際起こっている。で、色々な人がいがみ合っていたり、アメリカの政治が混乱していたりという中で、たった6ヶ月間ですけど、日本のある場所の中に世界150カ国以上の国と地域の人たちがやって来て、そこでお互いの悪口を言い合うこともいがみ合うこともなく、自分たちの文化を発信したいという思いが集うのは、それだけで大きな価値あることなんじゃないかなと思っていて。

箭内: なんて言うのかな? オリンピックもそうなんですけど、やることが決まってしまったのであれば、さっき薫堂さんがおっしゃったように、人を幸せにするものにちゃんと着地させていくというのは必要なことだし、大事なことだと思うんですけどね。
小山: 箭内さん、福島の支援をいっぱいやってるからご存知だと思うんですけど、くまモンの誕生日は2011年3月12日なんですよね。その前日に東日本大震災が起こって、くまモンもずっと「頑張れ東北」のバッジを使って活動していた。ところが5年後に、まさか自分のところに地震が来るとは思わないですよね。支援していたのに被災する側になってしまった。でも、もう起こったことはどうしようもないから、このマイナスをどうプラスに変えるかっていうのが僕らの義務じゃないかなと。
僕もそうでしたけど、3.11のときって、自分の仕事の無力さや情けなさを痛感したじゃないですか。クリエイティブってなんだろう? って。そんな状況の中でも、自分たちのつくったものでちょっとでも人の心が癒されるかもしれない。
箭内: 癒しもそうですし、出発点にもなりえますよね。2011年の3月に猪苗代湖ズで『I love you & I need you ふくしま』を発表したあと、4月に熊本の人たちが自主的に熊本版をYouTubeにあげてくれたんです。それはすごく励まされましたし、くまモンが東北を応援してくれたこともね。そこから助け合いや恩返しの連鎖が始まっていくというか、その“素”をつくるのもクリエイティブの役割のひとつ、大事なことかなと思うんですけど。
小山: そうですよね。本当に次どこで何が起こるかわからないし、なんにもないときこそ、ほんとは仕組みをつくっておけばいいのにと思うんですけど。毎回、何か起こってからつくるじゃないですか。特に避難所なんかもその課題があって、もっと発展的でフレキシブルな仕組みがつくれないかと思うんですけど。
箭内: 意外と「湯道」なんかも、そういう仕組みの“素”になりそうですけど。
小山: そうですね。風呂につかってるときって、あまり負のことは考えないんですよね。つかってる同士、ひとつに心がつながる感じになるのがいいなと思うんです。 「食」もそうだと思うんですよ。同じテーブルを囲んだら、みんないがみ合うことなく、相手を許せる気持ちになるような気がして。今回、僕がプロデュースした万博のパビリオン(EARTH MART)の最後はそんなメッセージに落としこんでいます。地球はひとつの食卓みたいなもので、食べるものは全部この中にしかない。で、人間だけが、自分が手の届く範囲の外にあるものを食べてるんですよね。ほかの生き物は手の届くものしか食べられないんですけど。その意味では、地球というひとつの食卓を囲んで生きているんだから、みんなハッピーに行きましょうよと。そんなことが伝わるといいなと思っています。
箭内道彦(やない・みちひこ)
クリエイティブディレクター
1964年生まれ。東京藝術大学卒業。1990年博報堂入社。
2003年独立し、風とロックを設立。現在に至る。
2011年紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストでもある。
月刊 風とロック(定価0円)発行人。
福島県クリエイティブディレクター
渋谷のラジオ理事長
東京藝術大学美術学部デザイン科教授
小山薫堂(こやま・くんどう)
放送作家・脚本家。1964年熊本県生まれ。
日本大学芸術学部放送学科在籍中に放送作家としての活動を開始。
「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」など斬新なテレビ番組を数多く企画。
映画「おくりびと」で第32回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第81回米アカデミー賞外国語部門賞を獲得。
執筆活動の他、京都芸術大学副学長、下鴨茶寮主人、2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーなどを務める。
「くまモン」の生みの親でもある。