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~クリエイターわらしべ物語~

福里真一

あの人「は」今って言ったら消えた芸能人の行方を探すアレですが、あの人「が」今と言ったらその逆です。若かりし頃その手にあったものは藁だったのに、ACC賞を取るなどしてどんどん箔の付いたものを手中に。そんなわらしべ長者的にビッグになっていったクリエイターをご紹介します。
第2回目は「電信柱の陰から」はみ出にはみ出る存在感の、ワンスカイ福里真一さんに本誌編集長が直撃インタビュー!

30歳になるまで仕事がなくて

―福里さんってわらしべ(暗黒)時代が長かったんですよね、失礼ながら。

「この年になるとわかりますけど、どうせ若い人と仕事するなら、明るくて愛嬌のある若者と仕事したいですよね。僕は完全にその逆の若者でしたから、当然のごとく、先輩たちから仕事の声がかからなかった。しかも僕のいた電通というのは、エネルギーに満ち溢れた素敵な若者ばかりでしたから…。電通には何百人ものクリエイターがいるので、僕がろくに働いてなくても、見なかったことにできますし、本当に誰も気づいてなかったのかもしれませんし…。そんな中、たまに仕事がくると、なんとか自分らしさを出そうと、ネガティブで暗い企画ばかり出していましたから、“案の定、暗いやつが暗い企画を出してきた”と、ますます仕事がこなくなる。まさに負のスパイラル状態でしたね。」

―(爆笑)仕事がない時は何を?

「30歳ぐらいになるまで仕事がなくて、当時の電通の前にあった首都高の上の公園でぼんやり本を読んだりしていました。よく、無責任な先輩が“せっかく時間があるんだったら映画とか観てインプットしろよ”なんて言いますけど、映画なんて毎日見てたら、3日で疲れきっちゃうんですよ。しかも、入社3年目に、富士フイルムのラジオCMで、ACCの最優秀ラジオスポットCM賞(当時)というのを受賞し、5年目に、通販生活のテレビCMで、TCCの最高新人賞というのを受賞して、それが逆効果というか、自分は今のままでいいんだ、という間違った根拠を自分に与えてしまったことも悪影響でしたね。ACCさんの責任も重いです。ただ、受賞した時には嬉しかったですけどね。はじめて自分以外の尺度で評価されたという経験でしたから。喜びを人前で表せないタイプなので、ACCの受賞を知った時はわざわざトイレの個室に入って、ニンマリしたことを覚えています。」

自分らしさは捨てて、求められるものを

―そんな福里さんのブレイクスルーは。

「30歳になった時に、自分の考え方を根本的に変えたんです。この年までうまくいかなかったということは、才能がない、ということだなと。だったらこれからは、自分らしさとかではなく、求められるものを自分を消して素直に作ろうと。そんな時に参加した缶コーヒー・ジョージアのプレゼンの課題が、“21世紀を迎えて、明るく前向きになりたい人の背中を押すような広告を”というものだったんです。『明日があるさ』なんて気分、自分にはまったくなかったんですが、そのオリエンに素直に企画して作ったところ、結果的にヒットして、ACCのグランプリも受賞した。そのあたりから、ジョージア、富士フイルム、NTT東日本、ANAなどの仕事を継続的にやるようになり、ようやく給料ドロボーではなくなったんです。

実は、ジョージアが始まる前の年に、佐々木宏さんと出会ったことも大きかったですね。TUGBOATの人たちが電通から出て行って、佐々木さんが仕事を頼めるスタッフがいなくなって、何人かの若手が呼ばれた中に、たまたま僕が入ってました。それから、もう15年以上も佐々木さんとは仕事をしていまして、まあ、心ある人は去り、心を亡くした人だけが残ったといいますか…(笑)。先ほど、30歳になった時に、自分には才能がないと判断した話をしましたが、佐々木さんからは、僕が思ってる以上の強さで、自分を否定されまして…。“君が面白いと思っているものなんて全然面白くない。とにかく世の中が面白いと思うものを作れ”と。ですから、佐々木さんとの出会いで、世の中とか、広告主から求められているものを作ろう、という方向性が、より強まることになりました。」

―いろんなタイミングが合ったんですね。ジョージアでのグランプリ受賞は、福里さんに大きな影響を与えましたか?

「それは大きかったですね。『明日があるさ』のCMは、世の中ではけっこうはじめからヒットして話題になっていたんですけど、広告界ではそんなに評価されてなかったんです。当時は、TUGBOATの方たちが作るような、陰影に富んだ映像で人間の深部をえぐるようなCMが流行っていたし評価もされていた。それに比べて『明日があるさ』は、明るい映像でカラッと人間を描いていた。もちろん意識的にやってはいたのですが、浅く見えたんでしょうね。それがようやくACCでグランプリを受賞することで、広告界からもいい広告として認められたという感じがしました。この方向でやってもいいと言ってもらえた気がしましたね。
今は“いいね”っていうろくでもないボタンがあるじゃないですか。あれで、たいして“いいね”じゃないものまで、いいねとされてしまうところがある。やはり、仲間うちの“いいね”って、まったく信用できないところがありますからね。そういう意味で、ACCのような、こわそうな審査員が外部の尺度でいい悪いを判断してくれるものがあることは、ありがたいです。よくあるのは、制作が大変だったり、楽しかったりしたことで、スタッフがいい仕事をしたような気分になってしまうこと。制作作業のプロセスがどうだったかなんて、実際できあがったもののよし悪しとはまったく関係がないですから。やはりよし悪しを判断する目が外部にあることで、はじめて冷静な目で自分の仕事を見られるんだと思います。
ACCさんには、ジョージアの後も、BOSS『宇宙人ジョーンズ』とトヨタ『ReBORN』で、計3回のグランプリをいただきましたし、その他にもACCベストプランナー賞とかACCジャーナリスト賞とか、賞という形で時々励ましをいただいたり、もちろん賞を与えないという形での批評もさんざんいただいて、僕のように独立してあてどもなく仕事をしている人間にとっては、ありがたい存在になっています。もうちょっと高い頻度で励ましがいただけると、もっとありがたいんですけどね(笑)。」

―独立してワンスカイを興した理由は。

「元々ワンスカイは、ジョージアの『明日があるさ』キャンペーンがかなり大きな仕事だったので、それをやるためにできた会社なんです。僕自身は、電通を辞めたいとも、独立して会社を作りたいとも、まったく思ってなかったのですが、『明日があるさ』の発案者である僕がその会社に行かないのも変だ、という流れになっていきまして。最後は、なんとなく、“行きます”と答えてしまいました。まあ、電通でうまくいってたわけでもないので、そんなに強く断る理由もなくて。」

―(笑)流されて。

「流されて。でも結果的には、よかったと思ってます。電通という大きな人の波の中と、ワンスカイという少人数のところとでは、自分の見られ方が全然違ったんです。やはり、目立ちやすいということは確かですね。僕のように地味なタイプでも、それなりにいい仕事をすると、それを見つけて、仕事を頼んできてくれる人がいる。電通で目立っていくのは大変ですからね、周りじゅう優秀だし。その後、ワンスカイは、他の方々はいろいろなことで出て行って、今はなぜか、僕ひとりの会社になっているんですが、とても居心地がいいですね。そういう、広告界の片隅に、ひっそりとひとりでいる感じが、向いているんじゃないでしょうか。そこで、面倒くさい会議も面倒くさい人間関係もなく、ただひたすらテレビCMを作り続けている感じです。」