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第十四回 箭内道彦 ✕ 佐々木宏

箭内 :佐々木さんは「このコーナーに出ていただくのはまだ早いかな?」という感じがあったんですけど。

佐々木:とはいえもう還暦ですから。それでついにお呼びがかかった感じでしょうか?(笑)

箭内 :いや、そういうことでもないんですけど、歳をとることで何か変わった部分ってあります?

佐々木:まったく変わってないですね。ある意味、小学校の頃から変わってない気がする。自分の意見が通るとうれしくて人の意見で決まるとガッカリとか、自分がさっき聞いた話を、さもずっと前から考えていたかのようにしゃべり続けるとか、そういうところも変わってませんね。別にガキ大将とかね、ジャイアンみたいに乱暴だったとかじゃないんだけど。あと髪型とかも、実は小学校の頃から基本同じなんですよね(笑)。

箭内 :ジャイアン型じゃないし、番長型じゃないのに、みんなが佐々木さんにずっと付いてきてるわけじゃないですか。それ、どうしてだと思います?

佐々木:付いてきてるのかな?(笑) みんなね、たいして付いて来てないのに、「付いて行くのがツラい」なんて嘘ついてるんじゃないかと思うんですけど。そういえば、こないだ還暦の会をやって、230人くらい来てくださったんですけど、そのとき照井(晶博)君に文章お願いしたんですよ。そうしたら、「佐々木宏は"ジャイえもん"だ」って書いてくれた。ジャイアンみたいな部分はあるけど、「ドラえもんが好きでーす」みたいにカワいぶってるところもあり、そのミックスが佐々木だみたいに。なるほど、って思いましたね。

箭内 :なんでそういう性格になったんですか?

佐々木:やっぱり子供の頃、転校が多かったせいですかね? 熊本で生まれて3歳で東京に来て転校が3回、次に7歳のとき釧路に行って、北海道でも2回。東京には中学のとき帰って来たんですけど、教科書や言葉がしょっちゅう変わるのは、子供にとってはけっこうストレスで。中二のときにオヤジがいきなり亡くなって、自分がしっかりしないといけなくなったっていうのもあるかもしれない。
それでわりと幼少の頃に色々悟った感じになっちゃったのかも。よそ者の防衛手段として、学級委員長になって積極的にホームルームを仕切るとか、そういう癖がついちゃった。
でも、どうせ仕切るなら楽しいほうがいいよなって考えるタイプ、それでクラスのお楽しみ会なんかでも「ほかのクラスより面白いものにしよう!世界一楽しいクラスにしよう、」っていう気持ちがありましたよね。「俺ってどんな仕事でもにぎやかな文化祭みたいになる」って言われたことがあるんですけど、そういうのもちっちゃい頃から続いている感じなんですよ。大学の頃は三田祭仕切っていた気がするし、電通入ってからも最初の5年は新聞雑誌局で、地味目な場所だったけど、ド派手な企画作って結構面白く仕事していたし、28歳のときにクリエイティブ行くことになるんだけど、そのときもある種よそ者ですから。「"新雑"あがりのクリエーターかあ」みたいにずいぶん言われたんだけど、逆に見返してやろうと思って。色んな人に会って知識をちょっと吸収すると、それをものスゴい勢いで展開する(笑)。そしたらみんなビックリしますよね? それが楽しくて。まあ知ったかぶり野郎なんですけど。

箭内 :お茶目な知ったかぶり野郎ですよね(笑)。

佐々木:でも、だれかがずっとカメラでオレのすべてを見てたら、化けの皮はがれると思いますよ。「いつか化けの皮はがれるんじゃないか?」と。ずっとそう思いながら60歳になった感じですね。

箭内 :いまのところ化けの皮はがれてませんか?

佐々木:まあ、人はみんなどこか化けの皮がありますから。あと、ここまで長いこと化けの皮かぶってるとそれなりに面の皮も厚くなって、はがれてもそこそこにはなってるんじゃないかって勘違いしたり(笑)。

箭内 :さっきの話で、僕ひとつ興味あるのは、佐々木さんが電通でも"転校生"だったっていうところ。そもそも佐々木さん、なんで最初からクリエイティブに配属されなかったんですか。

佐々木:そもそも最初は広告代理店じゃなくテレビ局に行きたかったんですね。バラエティとか歌番組みたいな、とにかく楽しいテレビ番組を作りたいっていう気持ちしかなくて。結局、テレビ局は俺の年、募集ゼロで入れなかったんだけど、「電通の中のテレビ局とかそういうセクションに行ければ近いかな」と。クリエーティブ局を志望したのも「CMの制作があるから、テレビと接する仕事があるのかな?」ってくらいのことでしたね。

佐々木:自分のチョンボで、クリエーティブ配属なくなったときは、ショックでしたね。でも、そのショックがよかった。配属前の研修期間の時の僕のサブリーダーはいまビームスで社長をなさってる設楽(洋)さんだったんですね。SP局でバリバリ仕事する僕らの大好きな兄貴分っていうか、そのグループ全員の配属が決まって、俺が新雑局に決まったってわかったとき全員が大笑いしたんですよ。「佐々木がよりによって一番行きたくないって言ってたとこになったぞ」ってことで。
そのときね、サブリーダーに業務日誌を出すんだけどそこに、設楽さんが、「宏、電通はどこに行ってもクリエイティブだぞ。」みたいな励ましの言葉を書いてくれて、その3行くらいの文章にグッときましたよね。のちに電通で講演させてもらったときにそのエピソードを話したら、たまたま設楽さんの娘さんが聞いていて、「初めて父のこと尊敬できました」なんて言ってくれたりもしたんですけど。

箭内 :いい話じゃないですか!

佐々木:うん、さらに、その晩、設楽さんから電話があり、久々に娘が口聞いてくれたと。(笑)
実際2年目に新聞から、雑誌部に移ったら、ほんとに楽しくて。仕事もそうですけど、人が楽しかったですね。タイアップとか色んなことをけっこう自由にやらせてもらえて、上の方々が任せてくれたので勝手に発案して企画書を作ったりしてました。

箭内 :今日はこの話もぜひ聞いてみたかったんですけど、佐々木さんて案外、愛の人だったりするじゃないですか? ミーハーな一面やキャンペーンにお金をたくさん使ってみせるみたいなところに光が当たりがちですけど。前に佐々木さんから、お母さんが、骨折した際、介護をされてるってメールをいただいたことがあったのが印象的だったんですけど、トヨタのリボーンのCMでも、たけしさんが「福島にも未来って学校が出来るらしいよな」っていうセリフを言うシーンがあったり。
そういうのが僕の中でつながって、「佐々木宏、嫌いじゃないかも」って思ったことがある…。いや、嫌いじゃないすよ、前から(笑)。でも佐々木さんの中のそういうあったかい部分や使命感みたいなものが意外とみんなに伝わってないというか。

佐々木:震災のときもそうだったんですけど、自分自身、子供の頃に父親を亡くしていたり、極寒の地に住んでいたことがあったり、他にもいろいろ…ま、澤本(嘉光)君や福里(真一)君に比べて幼少期にかなり苦労している訳で、ヒトの痛みがわかるっていうのはあるんですよね。自分で言うことじゃないけどね、(笑)
ツライ人を見たときに、わりと涙腺がゆるむタイプではあるんです――っていうのを人にあんまり見せたくないので、ジャイアンを装っているというか。

箭内 :この前、秋元康さんとお話してるときに思ったんですけど、秋元さんもそういうとこあるじゃないですか? 実はアツい人なのに「金儲けしようとしてるだけでしょ?」みたいに誤解されてやっかまれたり。佐々木さんと秋元さんは業界も違うし、性格も違うけど、そういうポジションではありますよね。

佐々木:秋元さんと言えば、先日対談させていただいたときに、「音楽番組をどう復活させるか?」みたいな話題になって、「もう一回みんなが歌える大ヒット曲作れませんかね?」というようなお話をしたんですよ、音楽業界全般として言うと、いまは完全にサウンド重視になっていて、「メロディがいいね」とか「なかなかいい歌詞だね」みたいな曲を作ると「昭和じゃん」なんて言われちゃいそうな空気があるから。
そういうのもあって、最近「丘をこえて」を色んな世代の人に歌ってもらうCMをトヨタで作ったんです。震災のあとの歌のリレー(「上を向いて歩こう」/サントリー)もそうだったけど、自分の中では、昔のいい曲を懐メロとして出すんじゃなくて、いまの人が聞いてメチャクチャいい曲だと思ったら、実は何十年も前のヒット曲だった!? みたいなことができないかな? というふうに思っているので。

箭内 :テレビ局に入ってやりたかったことを結果的には15秒のCMサイズで実現してる部分があるんでしょうね。

佐々木:実は音楽は自分の中では、CMよりテレビより一番なんだっていう気持ちがあるんですよ。
とにかくビートルズの大ファンでね。映画で言うと「サウンド・オブ・ミュージック」が大好きなんですね。
「そうだ 京都、行こう」(JR東海)のBGMは「私のお気に入り」っていう「サウンド・オブ・ミュージック」の中の一曲だし、実は、このミュージカルから8曲くらいCMで使っている。自分の中では「サウンド・オブ・ミュージック」とビートルズが二大ブランドで、それ以外では、サザンにユーミン、中島みゆきみたいな感じで、「この5つが圧倒的にシェアを持っている」っていうのがオレで(笑)。

箭内 :それこそ広告ロックンローラーズじゃないですか? なんとなく(笑)。どうしてそこまで音楽が佐々木さんをつかんでるんでしょう?

佐々木:笑われそうですが、そもそもは作曲家か指揮者になりたくて。ピアノは半年習ってやめたが、あとは独学。小学校の頃から見よう見まねでショパンを弾いたり、中学に入ってからもクラスの友人と「チャイコフスキーピアノコンチェルト1番」をピアノ2台でコンサート開いたりしていた。あと、ショパンメドレー。でも、曲の難しいところになるとオレが弾けなくなるじゃない? そうしたら、その曲はそこまでで終えて次の曲に行くって手を考えたんですよ。クラシックのメドレーって当時禁じ手だったけど。
クラシックを、もっと身近に、という屁理屈で。

箭内 :すごいですね、中学生にして社会的使命感を持っていたと(笑)。

佐々木:釧路にいた頃から熱狂的にビートルズが好きだったんだけど、その頃の日本の音楽って言うと美空ひばり、橋幸夫みたいなド演歌の世界で、海外とあまりにも落差があるから、「オレが日本の音楽界を変えなきゃ!」って勝手に思ってた(笑)。
そう言えば、資生堂の「フォグバー」っていうのをやったんですけど、あれはビートルズでやろうって企画でね。ビートルズ世代ど真ん中じゃないんだけど、澤本君もかなり、ビートルズ好きなんですよ。そこは意見が一致して、当時は澤本君が「佐々木さんの仕事はこれ以上無理です」って言ってるときだったんだけど、「ビートルズでやんない?」って言ったら電話一本で「やります」と(笑)。あんなに楽しい仕事はなかった。フォグバーのネーミングから、始まり、霧だから、ロンドンだから、ビートルズ、と連想して…。
いやあ、オレ、本当は音楽が一番好きだったんだって、話してるうちにだんだん思い出して来ちゃった。いまでもiPhoneに何万曲も入ってるんだけど、やっぱり自分の中では70年代が80年代が一番だっていうね。

箭内 :あの…たぶん、もう文字数オーバーしてそうな気がするんですけど(笑)、佐々木さんて今後はどうなんですか。死ぬまで広告作るみたいな感じですよね?

佐々木:いや、どっかで疲れて違う仕事っていうのもあると思う。

箭内 :あるんですか、それ!?

佐々木:「広告にこだわりたい」っていうのは、そのほうがカッコいいかな? って思って言ってるくらいで。ただ、オレが箭内君みたいなマルチプランナーになっちゃってもわけわかんないよね?

箭内 :なんか批判されてる感じします(笑)。

佐々木:いや、そういうのはふつうの人にはできないからうらやましいと思いますよ。澤本君や髙崎(卓馬)君だって映画作ったり、いろいろやってる。
電通の同期だとやっぱり佐藤雅彦が抜きん出てて、「ついに大学の先生になっちゃったか」と思うと紫綬褒章受章とかね。違うジャンルもちょっと手を出してみましたみたいなことじゃない、凄まじい。
で、オレは自分の周りにそういう才能のある人がいっぱいいて、次々にマルチ活動を始めたから、それに対してはちょっと斜に構えて「広告一筋で行きます」って言うしかなかったんですよね。

箭内 :一乗谷の地域おこし(DISCOVERY PROJECT)はけっこう長く関わってらっしゃいますね?

佐々木:あれはもうライフワークみたいになったんですけど、箭内君も関わってる今度の福島の学校(県立ふたば未来学園)もね。あそこに学校を作って広めて行こうっていう趣旨に大賛成だったし、具体的に自分が役立てそうだなと思ったので、有志の応援団(ふたばの教育復興応援団)に参加させてもらったんです。

箭内 :いまの話もそうですけど、広告を作ってる人だからこその発想法が、意外といま社会の色んなところの役に立てるタイミングだと思うんですよ。狭くなってる視野を広げるとか裏返してみるって広告の人特有のスキルだと思うので。

佐々木:うん、企業から仕事を受けてCMを作りますってことだけが広告じゃないというのは間違いないと思うんですけど、それと同時に、やっぱりオレ、細々と趣味的にやってますっていうのもヤなんですよ。だれも知らなくていいけど…みたいなことではちょっとね。
一乗谷の地域おこしで犬のお父さんを起用したのもそういうことだし、このあいだ福島民友新聞に書いた、「若者たちに福島のコマーシャルを作ってもらって、オリンピック・パラリンピックでそのCMを5分間だけ流してもらうのはどうでしょう?」っていうアイデアも同じ発想で。やっぱりCMから入りたい気持ちがあるわけです。
そういうことを書いたら、読者の75歳の専業主婦の方から、「読んでて涙が止まらなくなった」というお手紙をいただいたりして、広告ってやっぱりみんなの評判が良かったり、大きな話題にならないとダメだという風に考えてしまう。福島の高校生によるCMは、「果たしてオリンピック・パラリンピックで彼らのCMは流れるんでしょうか?」っていう話題にしたいんですよ。

text:河尻亨一  photo:広川智基

箭内道彦(やない・みちひこ)

1964年生まれ。51歳。東京藝術大学卒業。1990年博報堂入社。
2003年5月独立し、風とロックを設立。現在に至る。
2011年の紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストでもある。
「月刊 風とロック」(定価0円)発行人。
NHK Eテレ「福島をずっと見ているTV」レギュラー。
「風とロック」(TOKYO FM、JFN各局)、
「My Tokyo東京に恋をして」(ニッポン放送)番組パーソナリティー。
2015年3月、福島県立ふたば未来学園の、谷川俊太郎作詞による校歌を作曲。
2015年4月、福島県クリエイティブディレクターに就任した。

佐々木宏(ささき・ひろし)

クリエーティブディレクター
1954年生まれ。慶應義塾大学卒。1977年電通入社。新聞雑誌局6年。クリエーティブ局20年。2003年「シンガタ」設立。
サントリーBOSSを矢沢永吉から宇宙人ジョーンズまで23年担当。
その他、リザーブ友の会、モルツ球団、3.11.歌のリレー、など。
ソフトバンクは、モバイル創業前から孫社長とタッグを組み、
ブラピ、キャメロン、さらに、「白戸家」は9年目を迎える。
トヨタは、通算23年担当。コロナ氏、ECO-PROJECT、震災後、復活し、ReBORN. ドラえもん、TOYOTOWNなど。
その他、JR東海「そうだ 京都、行こう。」を10年、
資生堂UNO FOGBAR、全日空「ニューヨークへ行こう」、
富士フイルム「お正月を写そう」など。