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第十八回 箭内道彦 ✕ 白土謙二



箭内: 白土さんはいま、フリーなんですよね?

白土: そうです。2年前フリーになって。生まれて初めて自分で名刺作ったんですよ(笑)。

箭内: (肩書きが)「思考家」というのはうかがっております。でも白土さんは、ずっと前からフリーだった感ありますよね。

白土: うん、会社に帰属意識がないから。

箭内: 電通の中で"フリー"でしたよね。フリーダムのフリーというか(笑)。顧問だったんですか、最後は。

白土: 「特命顧問」でした。これは電通史上2人目の役職で。2年間やってたかな?

箭内: 僕は白土さんに昔から勝手にシンパシーを抱いていて、例えば「いい絵を描こうと思ったら、いい絵描きから学ぶんじゃダメだ」みたいなこと、ずっとおっしゃってたじゃないですか?「大事なのは違うジャンルの法則をいかに自分に取り入れるか?」だと。そういう話がすごく共感できたんです。
そのお話を是非うかがいたいと思いつつ、まずは電通の話を。会社に「帰属意識ない」っておっしゃってましたけど、それ愛情の裏返しじゃないですか?実は電通のことを人一倍考えてたのが白土さんじゃないかな?って思うんですけど。会社を離れて2年、白土さんがいま電通に対して思うことというのは?

白土: 僕、入社して辞めるまで、会社でだれからも「これやれ」って命令されたことないんですよ。自分が「これやりたい」っていうことだけやってきたんで。

箭内: そうなんですか?(笑)

白土: うん、基本的には頼まれたら断らない人でもあるんですけど、「これどう?」って言われても「いや、いまちょっと…」なんてやんわりと。そう言えば1回だけあるかな?特命顧問になったのは、社長に「お前と同じ役割ができる人を20人育てろ」って言われましたので。

箭内: 白土さんみたいな人を20人ですか? すごい命令ですね(笑)。

白土: まあ、電通という会社は、上場前と上場後で全然別の会社になっちゃいましたよね。上場前は一人一人が"個人商店"で隣の人が何やってるかなんて全然知らなかったわけですよ。その頃は余裕がありましたよね。頼まれてもいないのに調査や勉強をやったりだとか、テストムービー作ったりだとか、他業界の人と付き合ったりだとか、そういうことがどんどんやれていた。
上場したときに(2001年)、当時の成田(豊)社長が史上初めて全社員を集めたことがあったんです。そこで言った最初の言葉が「これからはふつうの会社になろう」(笑)。僕は聞き違えたんじゃないかと思いましたね。「ふつう」じゃないから「電通」なんじゃないかと。まあ、社長が言いたかったのは、上場するからには経理や管理をキチンとやらねばならないってことなんでしょうけど、それまでは「ふつう以上の会社」というのが電通に求められてる役割でしたから。そこで変わってきちゃったんですね。バブルが弾けて、みんなを守っていかなきゃいけない、これからはソツなくやらなきゃいけないっていうのがあったにせよ、自由な個人商店の風土は消えていったんです。
クライアントからも「手堅いキャンペーンをやってくださいね」っていうプレッシャーが増してきて、内と外の圧力が混じってふつうの会社になったんだけど、よく考えてみればもともと自由に放牧する風土だったから、ヘタなんですよ、管理が。その意味では、この20年頑張っていまCDとかになってる人たちっていうのは、とても大変だったと思う。僕らの10倍くらい大変だったんじゃないかな?
僕たちはクライアントから「白土さん、もっと面白い企画ないんですか?」と言われていたのに、この20年「そんな面白いことやらないで商品ちゃんと説明してください」と言われかねない状況の中でやってきたわけだから。面白いことやっていいんだ、好きなことやっていいんだ、トライしていいんだ、失敗していいんだという存在が電通だったんですけどね。
そう言えば昔、あるビジネスコンサルが何百人もの関係者に徹底的にインタビューして「電通って一体なーに?」って言うのを分析したことがあるんです。その結果たどり着いた結論がワンワードでね。何かって言うと「おせっかいな会社」(笑)。
頼まれてもいないのに「こんなことしてみませんか?」なんて提案してね。そのおせっかいから面白いことを生み出せていたんです。そのために下準備したり、勉強したりする余裕があったんですよ。でも、その余裕がなくなってきたことによって、これまでと違うものを提案する力が失われてきた。言われたことをちゃんとやるだけで手いっぱいになってきちゃってると思います。